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間違いを指摘されても(講師編)

machigai_shiteki.jpg

先日行っていた研修で、
パソコンがインターネットにつながらない、
ということがありました。

 

その会場のシステムを担当していたのが私の友人だったため、
彼に電話したところわざわざ駆けつけてきてくれて、
あっという間に解決してくれました。(早い!すごい!)

 

ところがその原因というのがどうやら私の設定ミスにあったらしく、
のちほど影で「○○が××になってましたよ?」と、
こっそり教えてくれました。

 

あらら、お恥ずかしい。
なぜならそのときの研修内容というのが、
インターネットに関するものだったため、
講師の私の立場に配慮して、
友人はその場でそれを言わず、
あとから耳打ちしてくれたのでした。
重ね重ね感謝です。

 

が、私、ちょっとそそっかしいので、
たまにこういうことがあるんです。
特に研修の時などは、「早く直さないと」と思い、
いつもならすぐに気が付く小さな事を、
少し焦って見逃してしまうときも。

 

でも最近は、それも皆さんへの好材料と思い、
今目の前で起こった現実的なエピソードとして、
原因を伝え理由を説明し、
自分の思い込みや感情も含めて、
その都度隠さずにその場でお伝えしています。

 

なぜなら講師は技術的な指導者であるばかりでなく、
仕事の先輩として、皆さんの見本にならなくちゃ!
って思うからです。

 

自分が悪い時はそれを認める、謝る、
ミスは隠さない、伝える、共有する、
対策が必要な時は相談する、皆とはかる、すぐ動く…

 

内心は(うへ~カッコ悪い、と思う時もありますが^^)
そういう姿勢を自ら示して、
見ていて欲しいな、と思うから。
それは指導的な言葉でお伝えするよりも、
記憶となって残るし、
やがて皆さんの仕事に生きることもあるのでは?
と思うから。

 

最初はやっぱり恥ずかしかったです。
言い訳をしてなんとなくごまかした事もありました。

 

ですが、これからそういったお仕事に就く方達の研修なのですから、
参加者の皆さんも今後同じようにミスしたり間違えたりすることも、
あるわけですよね。
それなら、今起こった絶好のケーススタディとして、
研修にも活かしていけばいい、
そんな風に思い始めました。

 

もちろん通常は何もないときがほとんどなのですが、
もしそういったことが起こったら、
すぐに気持ちを切り替えることにしています。

 

なので、友人の暖かい心配りに感謝する一方で、
皆の前で「ここが間違っていたよ?」指摘されても、
それはそれでよかったかも、とも思いました。

 

でも本当は「間違い」は、
ないのが一番です!(笑)
そしてこんなことを書くのも、
実は自分が一番言い訳がましくて、
臆病な人だったからなんですよね。

合格させるコーチング

 

goukaku_saseru.jpg

 

今日クライアントさんと話をしていて、
子供達が進学や就職で試験に合格していくために、
親はどんな風にすればいいんだろう、と考えていました。

 

私は受かった大学と落ちた大学がありましたが、
結果的に大学には行きませんでした。
どちらの大学にも今思えばあまり関心がなく、
かといってなりたい職業があるわけでもなく、
一応「来年も目指してみよう」などとは思ったものの、
当時の私は目標を立てて継続的に何かを実行することができず、
勉強などほとんどしないままふらふらしている状態で、
本当にすべてが中途半端だったと思います。

 

そんなとき親、特に母親に何をして欲しかったかと考えると、
「何になってもいいし、どんな人生でもいい」と言って欲しかったし、
どんな選択をしても認めて応援してもらえる確信を持たせて欲しかったし、
できればもっともっと、「ノセて」くれたらよかったかな。

 

うちの母は不安感が強い人なので、
何事もまず疑念から入るところがあり(笑)、
話をしていても内容が突飛だったり確実性がなかったりすると、
断固却下されて、
「もっとちゃんとした事を考えなさい」と怒られたものです。

 

ですが、私のような調子に乗りやすいタイプの人間には、
枠組みを決められてしまうとうまく自分を出せない傾向があり、
「これもダメ、あれもダメ」になると、その範囲で何かを決めるのではなく、
夢や希望そのものが思い浮かばなくなってしまうところがありました。

 

もちろん進路は自分で決めるものですし、
合格も不合格も自分の実力の結果でしかありませんが、
そのための努力を本人自身が心から欲しなければ、
全く行動にはつながらないわけで、
「自分はこんなことをしたい」「将来はこうなりたい」というイメージが、
希薄であれば当然結果も出ないわけです。

 

そしてそのイメージを作り上げる源は、
実は「社会貢献」とか「将来性」とかいう論理的なことよりも、
「カッコよさ」だったり「優越感」や「尊敬」だったり、
「安定への渇望」だったり「趣味の追及」だったり、
案外、感覚・感情的なほうがエネルギーが強かったりします。
私はそこにNGを下さず、むしろどんどん口に出してもらって、
親子で同じ気持ちで一緒に盛り上がるくらいのほうが、
いいと思うんですよね。ときには共犯者っぽくね(笑)

 

昨年長男と面接の練習をしていたときにまず聞きました。
「あなたはなぜこの仕事に応募したのですか?」

 

長男の答えは、社会がどうの、地域がどうの、といった回答だったので、
本当かな?とちょっと思って、
「私だったらカッコいいからなりたいと思うけど?」と水を向けてみたら、
長男の顔がパッと輝いて「そうなんだよ!カッコいいんだよ!」と、
急に人が変わったように表情が生き生きと変わったのが忘れられません。
思わず、「今のその表情のほうがよっぽど面接官にポイント高いよ!」
と叫んでしまったぐらいです。

 

また、次男は4科目がある資格試験で、
「受かるなら4科目全部一気に受かりたい」といつも言っていました。
有効期限内に一科目ずつ合格するよりも、
「ゼロから一気に100になりたい。
そっちのほうがずっとカッコイイし自慢できる。皆にすごいと言われたい。」
その言いぐさには非常に共感できたので、
「だったら目指そうぜ!」が合言葉でした。

 

何をやってもいい加減だった親に似ず、
長男も次男も共に志望の仕事に就くことができましたが、
二人とも色々な壁を乗り越えての結果なので、
私は本当に偉いと思います。(というか自分が恥ずかしい^^)

 

そして同じ年代だったときの自分と比べると、
やはり「念」みたいなものが全然違うんですよね。
明確だしブレないし、憧れがある!みたいなところで。

 

そういった事をストレスなく親の前で口にする事が出来て、
子供が自分で戦略を立てることが出来て、
その内容も親に話すことができて、
親も「なるほど、それはいい考えだね」と、
肯定して褒めて承認してあげることができたら、
子供はもっともっと変わっていくのではないかと思います。

 

そのためには、コーチングの知識って、
たくさんのお父さん、お母さんが、持ったほうがいいと、
私は思うんです。

 

コーチングって人をそうやって伸ばしていくノウハウでもあるので。

 

 

耳を動かす!~私を変えた付録記事~

 

watashi_wo_kaeta.jpg

仙台でコーチングと研修講師の仕事をしている笹崎久美子です。

 

私は耳を動かせます。
といってもよく見ると付け根のところがかすかに動く程度なのですが、
これは最初からできたわけではなく、
頑張って得た「結果」なのです(笑)

 

私は小さい頃、家で小学館の学年別学習雑誌をとっていたのですが、
確か、「小学三年生」か「小学四年生」だったでしょうか。
当時「なぜなぜ百科」みたいな小型の小冊子がよく付録についていました。
(私はこれがとても好きでした。)

 

簡単に言えば「空の色はなぜ青い?」といった感じのQ&A集です。
今はいったいどんな質問だったかすっかり忘れてしまいましたが、
これの回答コーナーで、
「耳を動かす筋肉は誰にもあります。だから誰でも動かせるようになれるのです」
という一文あり、へ~!そうなんだ!と感動したのが始まりです。

 

今思えば当時の回答は少々眉つば的なものとあったと思います。
だから本当に「誰でも動かすようになれるのか」はわかりません^^

 

ですが、その自信に満ちた回答っぷりに完全にその気になった私は、
「じゃ、やってみよう」とマジで思いました。
こういう何の益にもならない事にエネルギーをかけるのが至って好きな私なのです。
「面白い!できるんならやってみよう」とすぐに思っちゃうわけです(笑)。
そして、「ねーねー、ちょっと!ちょっと!」と言って友達を集めて実演し、
キャー!と皆に受けている自分の姿が目に浮かぶわけです(笑)

 

感想は、はっきり言って難しかったです。そして時間もかかりました。
1週間~2週間なんてものじゃなくて、
挑戦してはあきらめ、数か月後に思い出してはまたハマってあきらめ…
で、結局中学生ぐらいにできるようになったかのな?

 

最初は一体どうしたらいいのかさっぱりわからないので、
テレパシーのように心で念じるだけでしたが、これじゃ動くわけありません。

 

そのうち顔のいろんな筋肉をやみくもに動かして試してみるようになり、
トレーニング?の結果耳よりも先に頭皮がよく動くようになりました(爆)!
これは一生懸命眉を動かしているうちに、
眉が動かずに頭皮のほうが眉に近づいたタイミングが偶然あって、
お?これだけでもいいかも!と思って感覚を掴んですごく練習したら、
段々自在にできるようになったんです。(でも小さな動きです)

 

そうしたらそれをやっているうちに、大変微妙なのですが、
頭皮と耳を別々に動かす事が出来そうな感覚を持つ事があり、
「そうか、これを発展させていけばいいんだ!」と思いました。

 

人間やはり、何でもあきらめずに続けているとコントロールが可能になってくるものです。
没頭して取り組んでいるうちに少しずつ偶然を→必然に変えることができるようになり、
ついに(ほんの少しですが)耳の付け根を動かせるようになりました。
やった~!!!これが中学生のときですからいわば苦節3年ですね(笑)

 

ですが今振り返って思うのは、あのときに、
「誰でも必ずできます」という記事を読まなければ、
そんな(くだらない)ことに挑戦?しようとは思わなかったし、
「誰でもできるのだ」と信じ込んでひたすら練習することもなかったと思います。

 

だから、馬鹿になって信じ込むってすごく大事だと思います。

 

そうか、こんなやり方で不可能を可能にしていくんだな?と思った私は、
その後巻き舌(タラララ)に挑戦してできるようになったり、
まぁ、色々やってみました。

 

唯一のデメリットは親に怒られることですね。
こうと思ったらかなり没頭するタイプなので、
食事の時もTVを見ているときもずーっとトレーニング?しているわけですが、
母にはそれが、顔の神経が麻痺している方に見えてしまうみたいで、
何度も何度も「やめなさい!」って怒られました。
でも負けない!夢があるからね~(爆笑)。

 

巻き舌(タラララ)も最初はタラララララ~にならずに、
「タラタラ」と言葉で発するだけだったので、
その当時我が家では、「タラタラ」がはやり言葉になりました。
(「久美子はご飯食べたのか?タラタラ」(by父親)みたいな使い方)

 

まったくくだらない経験ですが、
こういう振り返りが今自分の仕事にすごく生きています。
要するに「できると信じ込む」ってとっても大事というわけですよね。
「できると信じ込む」は「できないとは思わない」「達成を全く疑わない」
ということなので、その気で努力したり工夫したりしますもんね。
「誰でもできる」のだから、
できないのは自分のやり方に問題がある、と普通に思うわけです。

 

「耳を動かす」「巻き舌」皆さんもこの機会にぜひどうぞ(笑)

 

※画像は昭和レトログッズコレクターの@HOMEな日常さんから いただきました。
 私より上の世代の方は、とても懐かしいサイトですので訪れてあげてください。

影響範囲

 

eikyou_hani.jpg

仙台でコーチングと研修講師の仕事をしている笹崎です。

 

夫は警備の仕事をしているのですが、
今度仕事先の現場でセキュリティシステムが導入され、
警備員も少しだけパソコンを操作する作業が出るそうです。
そのためパソコンを使った事がない多くの同僚達は皆、
不安がっているとのこと。

 

「なにも怖がる事なんて全然ないのにな、あんなの」

 

またまた、もう(笑)

 

実は夫も少し前まではご同類で、
パソコンを操作する機会の全くない仕事を長年やってきたため、
ITには劣等感と拒否反応があって、
「インターネットなんて、あんなもの、俺は絶対やらないよ」
が口癖でした。私への反発もきっとあるんですよね。

 

ところが、競馬が趣味の夫がある日、
騎手やレースのデータがJRAのサイトで簡単にわかると知り、
以後、余暇はひたすらネット漬けの暮らしに大転換!
「データをもっと集めたい」 この強い一念それのみで、
あっという間に、"普通にパソコンが使える人"になってしまいました。
そこに自分のメリットを強く感じたら、
人は(言われなくても)自ら行動を変えるといい例だと思います^^;

 

「決められた通りの手順さえやっていればいいのだから、
ちっとも難しくないと思うんだけどな、あんなものはさ。」
(少々↑優越感(笑))

 

そうかな?違うよ、それはよくわかっているけど、
万が一間違いや失敗したときにどうなるか、
明確にイメージできないから怖いんだよ。
使った事がない、というのはそういうことだよ。

 

そう、私もパソコンを初めて買って、
おそるおそる使い始めた時には、
なにをするにも妙に怖かった記憶があります。

 

今なら初心者が何をどうしくじったって、
せいぜい大したことないのがわかりますが、
(むしろ詳しい人の失敗こそダメージが大きいですよね。
重大なところをよくいじるから(笑))
その当時は、大金を出して買ったばかりだし、
何か動作がおかしくなるたびに、
「これで壊れたらどうしよう?」とか、
「このまま使えなくなるのでは?」とか、
だったら何もしないでおこう、の世界でした。

 

インターネットも同様で、
ウィルスに感染しているのでは?とか、
これを押すと高い金額を請求されるのでは?とか、
様々な警告が出るたびに怖くなって、
たいていそこで断念していました。

 

これらはすべて、何かあったときの影響範囲が、
まだまったく予測できない事によるものだと思います。
パソコンなんて、普通に常識的に使っているなら、
そうそうな事では壊れませんよね。
というか、WordやExcelで資料を作ったり、
何かのソフトウェアを使って趣味に没頭しているぐらいでは、
致命的な破損などはないと思います。

 

でも誰もそう言ってくれないので、
初心者の皆さんは不安なんですよね。

 

かく言ううちのご亭主も、
間違って最小化しては、「うわっ!画面が消えた」と大騒ぎし、
変ないじり方をして「ヤバい、ツールバーを削除してしまった!」と頭を抱え、
そのたびに呼ばれた私は、「大丈夫だよ、ほらね?」と、
いったい何度ご指導したことか(笑)?

 

でもいざ慣れてくると、そういったことも忘れちゃうんですよね。

 

全く使ったことのない方にパソコンを覚えてもらうときは、
まず、ありがちなミスやその影響範囲を、
きちんと伝えてあげるとよいと思います。
できれば、「何かあっても直せますから大丈夫」と言ってあげるとよいかも。

 

人にもよりますが、特に(私もそうでしたが)女性の場合は、
「よくないことは起こらないほうがいい」という発想で、
男性よりも興味・関心や勢いでチャレンジすることが少ないので、
安心を提示してあげるのがひとつの方法かもしれません。

 

そうすることで初心者さんは不安なく取り組むことができるし、
ミスをしても正直に申告してくれると思います。←これ、大事。
そしてそうやって小さな失敗を重ねていくうちに、
変な動作が出るパターンや直し方まで覚えていくんですよね。
それが、自立ということではないかと思います。



完了形の発声確認がいいいかも

 

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仙台でコーチングと研修講師の仕事をしている笹崎です。

 

私は今まで家にいつも家族の誰かがいる事が多く、
施錠して外出する経験があまりありませんでした。
ですが長男が就職でいなくなり大人三人家族になってみると、
自分が一番最後に家を出ることがとても多くなったんですよね。

 

私は元々慌て者で、仕事でも「えっ!」と驚かれるミスをしたり、
そそっかしい失敗にあとで気がついて青くなることがあるので、
火の始末やガスの元栓や縁側の施錠など、
ちゃんとやって出て来たつもりでも何となく不安で、
一度車を出したのにまた戻ってもう一度確認することがあるのですが、
その回数が随分増えてしまいました。

 

ひとつひとつをきちんと確認したはずなのに、
いざ家を出る段になると自信が持てないというのも変なのですが、
同じ経験のある方もいらっしゃるのじゃないかと思います。

 

ですがこれはどうにも効率が悪いので、
よくよく考えてみた結果、
自分の場合は「正しく完了した」という自分へのフィードバックが、
弱いのではないかと思いました。

 

ならばどうするか?

 

声に出せばいいんだよね。

 

それも、「元栓OK!ストーブOK!」などというのじゃダメみたい。
うちのご亭主の運転のように「右よし!左よし!」と大声で叫んでいながら、
目では全然見ていなくてヒヤッとした事例もあるわけだし(口先だけ!)、
もっと心に残る言い方はないかな。

 

そうだ!ひとつ確認するたびに、
完了形で言葉にしてみればいいんだ!

 

「元栓は今締めました」
「ストーブは今消しました」
「サッシは今鍵を掛けました」
「電気は今全部消しました」

 

お?ひとつひとつを口に出して見ると、
これ、自分にはなかなかいいみたいです。
きちんと確認をした"思い"以上に、
「○○しました」という自分の声が、
耳に入った感覚と共に、言葉を発した"口の記憶"として残るんですよね。
なので全部確認し終えたときに、
全部「○○しました」と言ったから大丈夫!などと強く確信できたんです。

 

年末に住所録の入力をしていたときに、
一度声に出して読みあげてから入力すると、
11桁の携帯番号もその場で覚えて一気に打てると気が付いたりしたのですが、
声に出すことは短期記憶の一時キープにすごく効果がある気がします。
私の場合、家を出る前の発声確認は完了形にするとさらによいようです。

 

頭の中にただとどめるのではなく、
耳に入った音声プラスそのように口を動かしたという身体的な記憶が、
意外によいのかもしれませんね。

 

長文もトレーニング次第

 

chobun_mo_training_shidai.jpg

仙台でコーチングと研修講師の仕事をしている笹崎久美子です。

 

文章を書くのが好きで、急ぎの資料作成や事務作業がないときは、
あっちのブログ、こっちのブログ、MIXI(ミクシー)やTwitter (ツイッター)など、
あっちに書き、こっちに書きしながら午前中を過ごしていたりしますが、
それを見た友人達から、「よくそんなに書けるね」と言われることがとても多いです。
「しかも皆内容が違う上に長文で、
私だったら時間があっても無理!無理!」と言われることも。

 

あはは、そうなのかしら?

 

先日、長男が就職で東京に発つ旨をある友人に伝えたところ、
「寂しいでしょう?」と言うので、
「それがそうでもないの。私の場合は一人でも頭の中が賑やかだからね。」と回答したら、
大いに爆笑されて、「受ける!あまりにおかしいから書いておく!」と、
携帯にメモまでされた私なのですが、
この"頭の中が騒々しい"のは、
確かに文章のボリュームと関係あるのかもしれません。

 

ですが文章ということに関して振り返ってみると、
「あれがよかった!」と思える経験が自分にはあります。

 

それは30代の頃に数年続けた文通かな。

 

実は私、その頃CHAGE&ASKAのファンクラブに入っていたんですが(笑)、
「SAY YES」のヒットを機に若い方が増えてしまい、
会報を読んでも若い人の投稿が中心で寂しいなぁ…と思っていたところに、
同じ世代の方からの文通希望のメッセージを見つけたんです。
それを見て同世代と共感を語り合いたくて、
早速申し込んだのがそもそものきっかけでした。
(その頃はまだ「手紙」がメーンの時代でしたし)

 

ところがいざ文通を始めてみると、いやぁ書けない、書けない、
自分がリアルタイムに考えている事や、
何かを見たり聞いたりして感じたことが全然うまく書けないんです。

 

いえ、「書けない」というのは正確ではなく、
書くことは書けるのですが、
読み直して、「自分が言いたいのはこういうことじゃない」と感じることが多く、
今思えば、一体何が言いたいのか、
自分でも核心を掴むことができなかったんですよね。

 

それで、たった2~3枚の便箋に書くのでも、
「こうでもない、ああでもない」と時間がかかり過ぎて、
そのテーマについて書く時期やタイミングをすっかり逃してしまい、
また一から書き直す羽目になるなど、
文通程度でなぜこんなに真剣になってしまうのだろうと思われますが、
本当にその時は、「うまく伝えられない」事を嫌だと思ったんですよね。

 

    *    *    *    *    *    *

 

それにしてもいったいなぜこんなに自分が書いた手紙に対して、
毎回自分でダメ出しをしてしまうのだろう?…と考えてみたところ、
あるとき、自分の文章には偽りが多いと気がついたんですよね。

 

「偽り」というのはウソつきのウソという意味ではなく、
カッコいいとあまり思ってないのに、
相手に合わせて「カッコいいよね!」と書いたり、
「最高」と思っていないのに「最高!」と書いてしまったり、
自分の偽りのない本音が全然文章に反映されていないので、
それで気乗りしないんだ、と気がついたわけです。

 

ですが、盛んに最高潮で盛り上がっている文通相手に対して、
「自分はそうは思わない」などと冷たく水を差すような事も書き難く、
じゃ、どう書けばよいのだろう?などと模索し始めました。

 

そしてまず「ウソは書かない」「ウソはどんどん排除する」と決めてみると、
自分が何も考えずにただ書く文章って、思った以上にウソが多くて、
本当に言いたい事、伝えたい事、感じたことを全然すくい取れていないわけです。

 

それを何度も何度も推敲しながら、「ここが違う」という箇所を見つけ、
より自分の真意や本音に近い表現に置き換えていくという作業を、
数年間、手紙を書くたびに行っていった結果、
段々すらすらと思った事が思った通りに書けるようになって来て、
時間もすごく短縮していったんですよね。

 

それともうひとつ、ここではないブログを、
2004年に始めた事も大きかったです。

 

そこではナーバスな話題を扱うことも多かったため、
これまた文面や表現に注意せざるを得ず、
「これじゃ誤解を生む、これじゃ勘違いされる」等々、
書いて読み直して修正してまた読み直して…の繰り返し。

 

ですがそちらのほうでも、数年来続けているうちに、
結構な量の文章でも短い時間で書けるようになりました。

 

    *    *    *    *    *    *

 

文章を書くと言うのは、
絵を好きな人が絵を描いたり、演奏の好きな人が楽器を弾いたり、
書を好きな人が書を書く、ダンスが好きな人がダンスを踊るなどと同様に、
自分にとってはある意味、アーティスティックな自己表現の手段に似ているんですよね。

 

だから文章を書いていると充実していて楽しく、
そこでうまくいかないことがあれば、つい突き詰めたくもなるわけですが、
そういう気質の人でも、そうでない人でも、
やはり数を書いていれば、
語彙や表現の呼び出しや連想力などのつながりが、
必ずスムーズになって来るので、
好き嫌いや才能がないなどと思わずに、
目的を持って何度も何度も時間を掛けて書くことをぜひお奨めします。

 

自分の書いたものを読み返して、
「なんでこんな風にしか書けないんだろう?」と思っている方ほど、
効果があると思います。

 

だって、そう感じ取れることが、何よりもまず、
変化に必要な第一歩ですものね!

 

最後になりましたが、
文通はお互いの趣味の変化で自然にフェイドアウトしましたが、
(つまりお互いに違うアーチストに鞍替えした→浮気なぼくらbyYMOだね(笑))
彼女とは今も年賀状だけの交流は続いています。

 

双方とも、手書きのコメントなどなく、一見素っ気ない年賀状ですが、
お互いにわかりあっているので、それもいいかな、と思って。
なのでお正月が来るたびに、あの頃と彼女の事を思い出し、
1年に一度、元気でやっているよ~!と思いを込めて、
無言の年賀状を送っています。
たぶん今までも、これからもずっとね。

ノックは4回

 

door.jpg

正式なマナーでは入室時のドアのノックは4回(4回以上)が正しいのだそうです。
http://www.e-kyoto.net/colum/sonoyama/sono36.htm

 

これはマナー研修や同様のセミナーなどに参加するとよく言われる事で、
私達がよくやってしまいがちな2回のノックは、
「トイレノック」と言って、本来お手洗いで使う回数なのだそうです。

 

それを最初に私に教えてくれたのが、
マナー/接遇講師でコーチ仲間のあんこちゃんなのですが、
「なるほど、そうなのか!」と思った私は、
早速次の日から実践し始めました。

 

それは、あんこちゃんから、
「2回のノックで室内に入って来る人がいると、
あぁ、この人は知らない人なんだなぁ、と思う。」という言葉を聞いたからでもあり、
DiSCでいうと「i」、常に「称賛」を無意識に自己ニーズとして生きている私としては、
「称賛」の対極にある行動にはそこそこ敏感で、
そういうセリフに弱かったりするのですね(笑)

 

ところが。

 

常に意識してすっかり習慣化してしまったせい?なのか、
最近の私は無意識にトイレでも4回ノックしてしまうのです(爆)

 

昨日も居酒屋さんのトイレで、なーんにも考えずに4回ノックして、
思わず自分で、おっとっとっと…と受けてしまいました。

 

がはは、ちょっと!
これってシチュエーションを念頭に置いて配慮するのでなく、
取りあえず、「ノックは4回だぞ?」というキャッチフレーズで、
強力なかつストレートなインプットをしているってことですよね(笑)
(そう、アタシって単純なのかも~♪)

 

でも想像してみてください。

 

トイレで次の訪問者に4回ノックされたらどう思うでしょう?
「コン、コン」ではなく、「コン、コン、コン、コン」でっせ?

 

いかにも、「てめー、何やってんだ、早く出ろよぉ!」と言わんばかりで、
微妙に失礼ですよね~!
いやはや、間違って身についてしまった習慣というのは恐ろしい?ものです(笑)

 

それなのに癖でついやっちゃう自分に思わず苦笑の毎日でごさいます。
うーん、次はこれを修正せねば…^^

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