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確信が行動を変える

kakushin_koudou_kaeru.jpg

最近私の友人がよくPCを持って自宅に来ます。
友人達の目的はブログやTwitterやFaceBookで、
根本的な疑問や、「○○したいけどできない」「××はどうするの?」
といった質問の解決のためにわざわざ訪ねて来てくれるんです。

 

私はものすごく詳しくて専門的な人に比べたら全然詳しくありません。
ですが、私や私の友人達が思いつきそうな疑問は、
検索すればたいていネット上に答えが見つかるので、
だいたいはその場で解決できます。

 

友人達は皆、たくさんの疑問をノートなどにリストアップしていて、
「これはどうするの?」「じゃ、これは?」と、
全方位360度の角度から様々なご質問をいただくのですが、
自分もよくわからないときにはすぐに検索して調べてみます。
ネットって本当に便利ですよね。

 

よく「何を聞いてもどうしてそんなにすぐにわかるの?」と言われますが、
ネットに慣れた方なら、それは誰でも皆同じだと思います。
それは「答えはネットの中にある」とわかっているからなんです。

 

だから、「検索を使えばたいていの情報は得られるよ?」と答えますが、
そこで検索の達人になっていく友達は少ないようです^^
ま、身近にすぐに教えてくれる人がいれば、
確かに何が何でも自力でとは思わないかもしれないですね~

 

今までも何度か書いているように、
私の前職はプロバイダーのコールセンターの統括SVでしたが、
(でも所属は派遣会社。形式上は派遣会社の社員として出向の扱い)
入った時にはダメダメスタッフで本当に何もかもがよくわからなくて、
なんでもよく知っている同僚達が神様に見えました。

 

なので私も同じように友達のAさんに尋ねました。
「なんでそんなによく知っているの?どうやって調べるの?」

 

するとAさんは、「え?いやほら、こうやって検索して…」と、
的確なキーワードを組み合わせて入れて、
知りたい情報がリスト表示されるのを見せてくれたんです。
そんな事を何度か繰り返して、
私も、「検索って、こりゃすばらしいものだな」と痛感するようになりました。

 

ユーザー対応時には様々な事情で周りの人に質問できないときがあります。
SVがいない!SVが他の対応にかかりきり!
他の人も皆手一杯で誰も空いていない!
掲示板にはつながるのを待っているお客さんの数が一杯で、
「待たせ過ぎ」のアラームもがんがん鳴っている!

 

そんなときにお客様の口から、
聞いたことのない仕組みやソフトウェアの名前が飛び出し、
「うわ、なんだそれ?」と大いに焦っても誰にも聞けないので、
お客様とうまくお話をつなげながら、
手元では必死に検索を繰り返して調べているわけですね。

 

    *    *    *    *    *    *

 

そんな経験を持っているので、
今は知らない事柄が出てきてもあまり困らないし、
それほど怖くもないんです。

 

そのベースになっているのは、
「調べればあるだろう」「見たらわかるだろう」といった、
無意識の確信であり経験から来る希望的観測なんですよね。

 

例えば、ネット上で簡単に付けられる無料の会計のサイトはないかな?
と思って 「会計 フリー インターネット」 で探すと見つかりますし、
この二つの文章の違いがどこにあるかわからん!
そうだ!それを見つけてくれるフリーウェアはないかしら?
と思い 「文章 違い ソフト フリー」 と検索するとまた見つかります。
売掛管理と請求書発行が連動してできるソフトが欲しいと思い、
「売掛 請求書 発行 フリー ソフト」 と入れるとやっぱり出てきます。
結果的に経費をかけずに仕事を高速化できます。
私は個人のフリーランスなので、今はその程度で十分なんです。

 

同様にブログやTwitterやFaceBookの疑問も、
キーワードを何度か変えて検索してみると、
たいていビンゴなサイトに当たります。

 

だから他の人も、同じようにしてやれば、
わざわざ袋原くんだりまで来なくとも、
相当なところまで自分でできるのに…と思ったりするんですよね。

 

じゃ、そこでの違いって何?と考えたときに、
前述の「確信」の有無が大きな違いになっていると気がついたんですよね。

 

私は、「こんなことはたぶん他の人も疑問に思っているだろう」と考える、
「こういうソフトがあったら便利、と思って自作している人はたぶんどこかにいるだろう」
「こんな事をやってみたいと考えているヤツは他にもいるに違いない」

 

そして。

 

自分と同じく困った経験のある他の人のために、
「設定方法や解決方法をブログなどに掲載している人はいるだろう」
「こうするとこんな事が出来ますよ、と自慢したい人はいるだろう」…

 

そういった強い確信と希望的観測が、
私をサクサクと検索させ、キーワードを必死で考える力を与え、
決してあきらめさせず、執念(笑)を強化させてくれるんだなぁ。。。

 

だから「できるはず」「やれるはず」「わかるはず」という気持ちは非常に大事で、
それがあるから意欲を持って前に進んでいけるんですよね。

 

    *    *    *    *    *    *

 

先日、知っている方からメールをいただきました。
その方は、震災による津波で経営している施設や車がみな流されました。
津波が来たときの様子がとてもリアルに書かれていて、
そのときの状況がよくわかる内容でした。
自宅も床上浸水、農機具もすべて水につかり、
どうやって立て直そうかと思うと呆然とするそうです。

ですが、私達に必要なのは「頑張る」ことではなく「希望を持つ」こと、
と書いてありました。そうですね、希望があれば歩いて行けます。

 

そのためには、「できるはず」「やれるはず」の確信を持って、
私を含めた東北の人達が少しずつ心を切り替えて、
今よりももっといい未来を見据えて、わくわくと取り組んでいくような雰囲気、
そういった精神的な土壌が確立していけばいいな、と思いました。

 

確信の存在って、やっぱり気持ちと行動を変えると思うんですよね。

 


 

客観への渇望

 

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仙台でコーチングと研修講師の仕事をしている笹崎久美子です。

 

一昨日と本日と二人の知人に会って話をしました。
それぞれ私とはタイプの異なる方ですが、
このお二人はどこか似ているんですよね。

 

それは(人に関して言えば)知りたい気持ちの矛先が、
他人ではなくご自身だということです。

 

私は「自分と異なる他人」という観点で、
「人」に対してはとても強い興味関心があり、
今この人は何を目的にこの話をしているのだろう?とか、
ここでどんな反応をすれば二人の間でベストなのだろう?とか、
常にモニターして自分の軌道を微修正しながら、
人を話をしている事が多いのですが、
このお二人はそうではなくて、
「自分を知りたい」という主旨のことをとてもよく言うんです。

 

一昨日のAさんは、「悪いところはどんどん指摘して欲しい」と言いますし、
今日のBさんは、「自分が他人にどう見えているのか教えて欲しい」と言いますし、
私は共通のキーワードとして、客観の熱望、という言葉が浮かびました。

 

二人に共通しているのは、
歯に衣着せぬようなストレートな言い方で自分に対して言及して欲しい、
と感じている事です。

 

私だったら、それは苦手で恐怖で嫌なことであり、
できれば言われたくないと思っていることの中でも、
一番ポイントの高いところかもしれないのですが、
お二人はそのように言われるとうれしく感じるそうです。
「だからどんどん言ってもらいたい」とのこと。

 

コーチングをしていても、同じように希望するクライアントさんがよくいるので、
私は、「それも一つのタイプなんだろうな」と思い、
内心、ここまで言っても大丈夫だろうか?こんな言い方で傷つかないかしら?
などと幾分ヒヤヒヤしながら、思ったことを直接的な言い方で伝えるのですが、
案外こちらが感じるよりも精神的なダメージがないみたいで、
私はそのたびに、あぁ、こういうスタイルでいい人もいるんだ、と思ったりします。

 

主観・客観という対義語がありますが、
そういった経験を多くしていると、
どちらの発想で物事を処理するのに長けているかは、
やはり人によって得手・不得手があるのかな?と思わされます。

 

私は「結局あなたはどうしたいの?何がやりたいの?」と言われることが、
過去によくあったので、
自分よりも相手の目線を無意識に優先させて、
相手にとってこれがいい、相手にこう見せたい、思わせたい、など、
そういったことが自分の行動の根拠になっているのかもしれません。

 

結果として相手の気持ちを推し量ったり、
客観的に自分の行動や自分が提示したものが、
相手にどう見えるか?というリサーチの力がは高くはなるも、
主体性や自我としての意思の強さには欠けるところがあり、
それが短所となって出てしまうと気があるのかもしれません。

 

一方私と逆のタイプの人達は、
自分はこれが欲しいからこうしたい、という意思が強く、
それが高い行動力につながり結果を残すことができますが、
その分、相手と自分の関係性や周囲から見た自分という部分では、
確信が持てなかったり迷いや戸惑いがあったりして、
実際にじっくりお話をしてみると、意外な自信のなさを感じたりします。

 

持って生まれた資質とか、今までの人生経験とか、
色々原因はあるのでしょうが、そういった根本的な違いを肯定し、
お互いのよいところを理解し認め合って対応しないと、
このままでは感情の行き違いが起こってしまいますよね。

 

自分が感じることをあまり感じず、
自分が全くこだわっていないことに厳密にこだわっているなど、
同じものを見て同じものを聞いても、違う感覚で処理された結果が、
行動や発言の違いになって表れるのだと思います。

 

あるいは自分が自然にできることが相手には困難だったり、
相手が当然と考えている発想が自分には全くなかったり、
自分の自然は相手の自然じゃない、
相手の当然は自分の当然じゃない…

 

そこが共通の認識として浸透していれば、
誰かのものの言い方に腹が立ってカチンと来たり、
悪意がないのに意地悪と誤解してしまうような事は、
もっともっと無くなるのではないかと思います。

 

AさんもBさんも大好きな友人なので、
だから違いを認め合い、「なるほど、あなたはそう思うのね」と、
お互いに穏やかな会話ができるのですが、
これがあまり面識のない人だったり、
初対面の人だったりしたら、そうはいかないかもしれませんね。

 

人間関係の難しさや、生き方の困難さは、
そこから来ているのかもしれないと思います。

 


 

苦手の正体


nigate_shotai.jpg

仙台でコーチングと研修講師の仕事をしている笹崎です。

 

私は物事をがっちり両手で真正面からとらえ、
それだけを処理するような作業が苦手です。

 

なんだかいきなり難しい表現ですよね。

 

具体的には数字を扱ったり、
厳密なフォーマットに沿った公的文書を作成したり、
同じ手作業を繰り返したり、
手順書通りの作業したりするのが苦手なんです。

 

なので計算ミスはよくしますし、電話の掛け間違いも多いし、
そのため見積書や納品・請求書のたぐいは、
数字をはめ込めばよい簡単なものでも、
場合によってものすごく緊張します。

 

それは前述した自分の特質で過去に様々な大きな失敗をしたときの、
不安と恐怖と嫌な雰囲気が感覚としてよみがえるからです。
そして自分でも、無意識のうちにとんでもないミスを犯していたり、
それが他人が聞いたら「信じられない」と首をかしげるようなものばかりであるのを、
自分でよくわかっているからです。

 

だから簡単な作業を何気なくこなしていても、
どこかで大きな間違いを見落としているのではないか?などと思い、
結果的にそうなってしまったときのイメージが、
昔の失敗と重なってフラッシュバックするんですね。
そのため、何度も何度も見直したり、つまらない事に時間を掛け過ぎたりして、
非常に効率が悪くなるんです。

 

工場で手組みのライン作業をしているときは、
他の同僚よりも圧倒的に「落下」(=不良品となる)が多くて、
ものすごく恥ずかしかったし、
ある仕事では上司からいい評価をいただいて管理的な業務に昇格するも、
手計算で作る書類の計算がミスがあまりに多くて軽蔑され、
「向かない」のひとことで降格されたこともありました。

 

あるいはエクセルで作って計算ミスがないはずの書類が、
あるセルだけ未入力で合計金額が大きく間違っていたり、
そのときそのときで指摘されて真っ青になったダメージが、
きっとトラウマになっちゃっているんでしょうねぇ。
それに関してのキーワードは、
(知らずに変な事してるんじゃないかと)「常にびくびく」、もうこれのみですね。

 

今になって色々本などを読んで見ると、
どうやらそういう資質も、半分は持って生まれた特質かもしれません。
私は抑制力が少し弱くてそのため動的で拡散型になっている、
思考回路と行動の持ち主なのかもね。

 

けれどそのせいで小さい頃から同じことで傷つき恐怖感が芽生えて、
年齢とともに苦手意識が自然に強まっていったと思うのですが、
「苦手」の正体って、きっとそういうことだと思うんですよね。
一番最初の始まりは、まだ成長前の素のままの幼い自分が、
自分の持っている特質で享受した利益・不利益の問題だと思うんです。

 

だから元々の原因は、人それぞれの個体差に起因していると考えれば、
いいも悪いもないし、自分を責めたり人から責められたりするようなものでは、
ないと今は思っているんですよね。(もちろん努力は必要だと思うけど)

 

「苦手」の背景にあるのは、恐怖と不安の感情だと思いますが、
その正体を見極めてうまく逃がしてやることができれば、
それらは段々改善していくと考えています。

 

私は今は、昔ほど大きなミスはあまりしなくなったのですが、
その土台になったのは、「怒られてもいい、そのときは謝ろう」という覚悟でした。
「ダメでも仕事できなくても、それが自分なんだから仕方ない」という、
開き直りでした。
そして、「失敗しないと覚えない性質(タチ)なのだから失敗はしたほうが得」、
「失敗をどんどんしたほうが、将来的にもっと大きながミスが絶対防げるはず!」
という発想の転換でした。

 

今自己啓発系の本などを読むと、それと似たような事が書いてあって、
あぁ、自分は結局これを自分で思いついてやってきたんだなぁ…と思いますが、
苦手の克服というのは、そういうちょっとした考え方の方向転換も必要だと思います。

 

今日はお金の絡む書類の作成が多くて、
少々不安な思いが高まったりしていたのですが、
ひとつ終えて落ち着き、またひとつ完了して落ち着き、
少しずつ平常心が戻ってきました。

 

そうなってみると、一体朝から何がそんなに一杯一杯だったのだろう?と、
馬鹿げて思えてきたりするのですが、
そういうことってこれに限らず、誰にでもあると思います。

 

そんな心情的な経験があると、他の人の同じ思いもわかってあげられるので、
それもまたコーチや研修講師としてのメリットになるかな?などと思い、
仕事をする上での自分の強みと捉えていこうと考えています。
そう、転んでもタダじゃ起きない性格も、案外昔からかもね!(笑)

カチンと来た時はだいたい当たってる

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リーダーの仕事をしている夫が職場の某所に貼り紙をしたそうです。

 

その日は工事で建物の出入口のひとつが使えないので、
職員さんが昼にそこから外に出ようとして、
知らずに行ってわざわざ引き返すことがないよう、
親切のつもりで丁寧に色々書いたみたいなのですが、
その文面が少々長くてわかりにくかったため、
別な人から、「あれって逆に見た人が迷うんじゃない?」と指摘されたそうです。

 

帰宅した夫はそれに憤慨して、
しばらくは延々と相手の方への文句と、
面白くない自分の気持ちを述べていたのですが、
妻のアタクシはその状況がよくわかります。
なぜなら夫は文章を書くのが苦手で(笑)、
家族に宛てて一斉送信した先日のメールでも、
全員から「意味分かんない」と即レスが来たぐらいだからです。

 

なのでフツーに考えると指摘してくれた人の判断が正しいように感じるのですが、
夫はしばらく腹の虫がおさまらずに、何度も同じ話を繰り返していました。
たぶん、相手の方の言い方とか態度とか、そういったところにも、
人の気持ちを逆立てるような嫌な感じがあったのかもしれません。

 

「な?そうだろ?あんたならどう思う?」と聞かれたので、

 

「うーん、そうだなぁ…相手がカチンと来ることを言ってくるときは、
あとから考えるとだいたい当たっていたりするので、
あぁ、そう見えているんだな、と思って、
(納得していなくても)取りあえず、
本当の事を言われていると思ってみる、かな。」

 

「そうかな。」

 

「そうだよ、自分はいつもそうだもん。
そのときはムッとしても、よくよく考えてみると、
相手の言い分にも一理あったり、
こっちの伝え方が悪かった事に気が付いたり、
そもそも自分の態度が断定的で語調がきつかったり、
確かに自分にも原因があったなぁと思うことが多いんだよね。」

 

「そうか。カチンと来ることは当たっているのか。。。」

 

「逆にそれだからカチンと来るのかもよ?
自分は気が付いていなくても、
無意識に気にしている事なのかもね。
それがよくないということを、自分のどこかで感じているのかもよ?
だから、カチンと来たら取りあえず『それは正しい』と思ってみて、
自分に原因を探ってみたほうがいいよ。」

 

いや、本当にそう思うんです。
なのでカチンと来た時ほど、軌道修正のチャンスだと思うんですよね。
そしてそう思うことで気持ちもそこから離れていくので、
私には納得できない気持ちから脱出する方法でもあります。
ずっとそこに固執して、いつまでもそのことばかり考えているのも、
仕事の効率を悪くしちゃうしね。

 

皆さんは最近、カチンと来たことがありますか?
そんなときは、相手にそのような態度や発言を取らせた自分に、
もし改めどころがあるなら、それは一体どこだろう?と、
考えてみるといいと思います。

 

一見相手が悪い場合でも、
そうさせた何かが必ず自分にあるはずだと、
あれこれ考えてみるのがいいように思います。

欲張りさんの呪文「間に合うほうを選べ!」

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仙台でコーチングの仕事をしている笹崎です。

 

はっきり言って私は欲張りです^^。
やってみたい事がたくさんあるし、
そう思うとアイデアが勝手に次々と浮かんできます。

 

そして一度とりかかったモノは早々に完成させて、
達成感を味わいたいほうでもあります。
実行を決めたトライアルは完遂して、
できるだけ成否の結果を得たいほうでもあります。

 

もしこれを読んで、「同じ!」と叫んだ読者の皆さん!
そんな私とあなたの間にはよろしくない共通点があるに違いありません。

 

それは時間に余裕がないこと、
そして遅刻ギリギリが多いことです(爆)!!!

 

なぜそうなるか?
それは「ここでやめておけば次の予定に余裕で間に合う!」というタイミングで、
とりかかっていた作業に対して名案が浮かんでしまったり、
「もうちょっとで終わるのに。。。そうだ、区切りが悪いのでどうせなら終わらせてしまおう」
などと思い、やめずにそれを続けた結果として、次の時間が足りなくなるのです。

 

それはたぶん私のDiSCとも関連があって、
「i」の私は相手の評価や称賛を無意識に自己ニーズとする行動をとるので、
「作るならいいものを。やるなら評価の得られるものを」という感覚が、
他の人よりも高いかもしれないです。
だから貪欲になって、その分時間を失ってしまったりするわけです。

 

が、最近私はひとつの呪文を考えだしました。
ちょっと迷った時に自分を律する自分のための標語です(笑)

 

それは、「間に合うほうを選べ!」です。
これを自分の判断基準とし、鉄則とするのです。

 

そのために捨てるもの…
それは制作物の品質だったり、完了の達成感だったり満足感だったりしますが、
そういったものはよく考えたら自分のためであり、「間に合う」のは人のためなので、
「そりゃ当然だろ?」と納得して、最近は割とあっさり捨てられるようになりました^^
(ま、普通はそれが当たり前なんですけどね(笑))

 

誰でも簡単にできることなのに、なぜか自分には難しい。

 

そんな事柄がある時は自分のこだわり(ニーズ)がどこにあるのかを、
自分で探ってみるのもいいですよね。
自分は何を得たくてそれをあっさり実行しないのか?

 

そして捨てるためのキャッチフレーズを考えて、
「今がそれの使いどき!」と感じたら、
呪文のように唱えてみるのもいいかもしれません。

美と備とBe


bi_to_bi_to_Be.jpg
勧められて購入しても、
まともに使いきったことがない化粧品の数々。

 

そのときは、いいな、と思っても、
長続きした試しがありません。

 

それはたぶん、自分の興味関心と、
異なるところにお金を使っているから。

 

いいものはいい。確かにいい。
プロの先生がメークしてくれると、
本当に別人のようになる!

 

だからと言ってその手間暇が、
長く持続するかというと答えはNO!なのだ。

 

だったら最初からやんないほうがいいのよ、
お金の無駄だから。

 

そのお金があったらやっぱり私、
本やCDをたくさん買ったほうが、
絶対に自分にとって"価値"があるもんね。

 

    *    *    *    *    *    *

 

きのう、TVで久しぶりに綾土智恵を見たら、
一瞬、「誰?この"おばあさん"?」というぐらいに初老っぽくて、
髪も白髪交じりで染めていないし、服もまるで普段着みたいだし、
「うわー、ずいぶん感じが変わって老けちゃったなぁ」と思ったの。

 

ところが!

 

ひとたび話し始めたら、やっぱりおかしくて面白くてノリがよくて、
うちの家族が全員がその爆裂トークに引き込まれてしまい、
昼御飯が終ったのに、誰も席を立てませんでした。

 

そうなのよね。

 

私、同類を感じるのでよくわかるんですが、
こんな風にクルクルと思考がよく回って、
言葉数が多く、話のテンポの速い人はね、
自分の見た目は割とどうでもよく感じて、
メンテナンスの優先順位が低いときがあるんですよね。

 

もちろん、心からどうでもいいと思ってはいませんが、
人の目に映る自分を気にして、
そこにエネルギーをかける気持ちがそもそも薄いのだと思います。
(たぶん)

 

それじゃ、どこに命を掛けるかと言うと、
自分のアクション(=働きかけ)に対する、
相手の反応なんです。

 

この場合の"反応"は、自分の行動に対する相手の行動なので、
化粧やヘアスタイルや服装で劇的に効果がアップするわけではなく、
やっぱり普段自分が何をどう考え、どう思い、
相手にどう伝えるか?というところを、
常に意識や自覚をがポイントとしているのです。


なので、「体験して気づいて、なるほど!」と、
感じることはとても好きなんですけど、
見た目への努力や工夫を必要以上に強要されると、
すごく窮屈で苦しくなっちゃうんですよね。
そもそもそこに多大な興味やこだわりがないから(笑)

 

綾戸さんも、番組では、
介護を通じての体験と深い気付きを、
表現豊かにお話されていましたが、
でもお母様には、「同じTシャツを一週間着て!」と、
思われ始めて来た、などと言って、
うちの家族が一斉に私を見た瞬間がございました!

 

一方、相手の目に自分がどう映るか?
を自分の行動基準とする人は、
相手はなぜそこが気にならないのか、
不思議で不思議でしかたないみたいです。


「もっとこうすればもっとよく見えるのに…」と、
他人に対していつも残念に思っているものだから、
挨拶よりも先に、助言と指摘の手が出る、口が出る、
というタイプの方が、私から見ると多いように思います。

 

それ、ちょっと苦しい。でもわかる!その気持ちはわかる!

 

だって、昨日の綾戸智恵はちっともかっこいいと思わなかったし、
もうちょっと芸能人らしくてもいいんじゃない?というぐらいに、
みすぼらしささえ感じてしまったので、
あぁ、きっとこの感覚なんだ!と。

 

でもたぶんね、あれはあれで、
もしかしたらご本人はいいんかもしれないんですよね。
なぜなら"それを絶対嫌だ!"と思うような人は、
たとえ死んでも、あんな普通の恰好では出てきませんから(笑)

 

それよりも、自分のお話が大いに会場を沸かし、
皆が腹を抱えて爆笑トークに笑ってくれたことのほうが、
満足で充実感があったのではないかと思います。
私はそう思いました。(綾戸さん、違ったら、勘弁ね!)

 

要するにそれが、DiSCでいうところの、
「i 」(感化型)ということなんですけどね!^^

 

美しさを気にするのか、ネタへの備えを気にするのか、
それは自分がどうありたいか(Be)で、
見た目も行動も大きく変わってくるわけです。

 

本日は、美と備とBeのお話でした。

不安定な人へ~「理屈でカタをつける」

fuan.jpg今日の日記は心身が少し不安定な人に向けて書いてみます。

私は心理療法士やカウンセラーではないので、今まで長い間かかって見聞きしたことの自分流の受け売りになってしまいますが、気持ちや体調がなかなか一定しない原因のひとつに精神的なストレスが上げられます。そしてこのストレスを形成しているのが「不安」だと思います。

不安というのは恐怖心だったり、漠然と感じる落ち着かない感じだったり、人によって様々だと思いますが、その正体を自分自身がよく理解して、論理的に語れるまでに自分の中で咀嚼されていれば、段々安定してくるそうです。

ここでDiSCを出すのもちょっとはばかられる感じがしますが、私は「i」の傾向が高く、「i」の傾向が高い人が恐れるものは「他人からの拒絶」で、望むものは「他人からの評価」です。

自分では「え~、そんなことないや~。嫌われるのは全然平気だし。」と思っていたのですが、考えてみれば、何をやってもうまくいかないような時期は、スランプにある自分をなかなか自己開示して人に相談する事ができないし、さほど必要もなく時間も全然ないのに、差し入れのお菓子を買いに店(しかもわざわざ話題の店に^^)によって、結果的に集まりに遅刻する!など、やるべき事とやっている事がちぐはぐなときは、拒絶を恐れ評価を望んで余分な負荷を自分に掛けてしまっているんだぁ…と思います。

ではなぜそれを恐れそれを望むのか?と言えば、そこは人によって様々なのだと思いますが、自分の場合だと小さい頃に親と仲が悪かったり(今は全然オッケー!)欠点の多い子供だったので怒られてばかりいたり、働いていた両親に代わって面倒を見ていてくれた祖母が頑固で支配的な人だったので、何をやっても「ダメ!ダメ!」と言われて育ったり、当たっていないかもしれませんが、その反動的な穴埋めで他人から存在を肯定されたい思いが少し強く、それが「人を喜ばせたい」といった、より成果を得やすい行動に出てしまうのかもしれません。

「恐れているもの」がやってきそうなとき、または、「望むものが得られないとき」に人は漠然とした不安を感じますが、それは過去の自分にとってよくなかった経験に根ざしている事が多いそうです。その中で一番多いのが親子関係のようですが、他にも人前で失敗して笑われたり何かで軽蔑された思い出や、大きな失恋・突然の絶交など納得のできない別れや拒絶、そして大切な人や物を失うなどが挙げられます。対人恐怖や友達と仲良くなれない、仲良くなると相手を嫌いになってしまう、なども、そういった事が起因している場合が多いようです。

その人にとってショックを受けた経験が記憶に刻み込まれていたとしても、心はそこから無意識に目を背けて普段は自覚させないようにフタをしているので、そんな事があったことさえいつもは忘れていますが(これを抑圧といいます)、そのときと似た状況になると記憶に閉ざされた感情が再現して、(自分自身では)言葉にできないような恐怖感や、漠然とした不安になって現れるのだそうです。

なので、自分は今何を恐れているのか?自分は今何を望んでいるのか?をはっきりさせて、できればその原因となった過去の経験ときちんとリンクさせて、言葉を通して論理的に語れるようになれば、やがて自分自身に合点がいき状況にも以前よりうまく適応できるようになって少しずつ心身が安定してくることが多いようです。

確かにそうですよね。中に何がいるのかわからない得体の知れない夜の森に分け入っていくよりも、たとえ暗くても険しくても手元に案内書がありこの先何があってどんな危険があるのか事前にわかっているほうが、心の準備と事前の対応が可能になって恐怖心や不安もある程度コントロールできます。理屈という言葉は「へ理屈」「理屈っぽい」などあまりいい意味で使われませんが、この場合は「理屈でカタをつける」のが有効だということです。

「言葉で語る」というのは非常に論理的な行動です。なぜなら自分の中で物事の整合性が取れていないと会話や文章は成立しないからです。内面を言葉で語ってより明確にし、それによって自己解決を可能にしていくのはコーチングの手法と全く同じですが、コーチングが効果的といわれるのもそんな理由からだと思います。最後は我田引水の結びになってしまいましたが^^、ご参考になれば幸いです。

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