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見た目と感情

mitame_to_kanjou.jpgのサムネール画像

先日、「相性の悪いコミュニケーション」という日記を書いたら、
用事があって電話をした妹から「見たよ~」と反応が。
妹は、私がここでよく家族の話題を出すので、
近況確認のつもりでたまに見に来てくれるんです。

 

そこで妹から聞いた感想がとても参考になったので、
今日はそのことを書こうと思います。

 

妹は、私が書いた文章を読んで考えたそうです。
「私はどうだろう?」って。

 

先日は、母が起きがけの私の髪を見て、
布団から出たばかりで整っていないのが当たり前なのに、
「何よ、その髪!」と突っ込みを入れてきて、
(先の日記では書きませんでしたが)
私は内心、「このタイミングでも言ってくるわけ?」と思いました。
だって起きてすぐにお手洗いに行ったときだったんだもーん^^
しかも自分も同じなのにね。

 

そのエピソードを読んだ妹曰く、
「それはね、そこしか突っ込めないから突っ込むのよ。
本当は日常的に言いたいこと満載なの。
でもあれこれ言うのもなんだし、普段は我慢してあまり言わないでいて、
何かあるとパッと言いたくなるの。」

 

なるほど。。。
私は”朝の起きがけの髪”そのものを指摘されているだけではなく、
それを引き金に積年の不満をぶつけられているのだな。
あ~、すごくなるほど(笑) 
だったら言いたいことは確かに満載だと思います^^

 

「うちの夫も、ひげが伸びているとかそういうこととか色々、
あぁもう~としょっちゅう思うことが一杯あるけどそれは言わないでいて、
たまたま髪がひどかったときに、『ちょっと、それ!』と言いたくなるの」

 

なるほどね~!!!

 

で、ここですごく勉強になるな~と思ったのはその内容ではなく、
「相手を見て腹が立つ、不満が募る」という感情の有無や強弱なんだよね。

 

実は私、「えー!」と思われるかもしれませんが、
見てきれいなものにそんなに関心がないんですよ。
だから逆に、相手(特に家族)の見た目が悪かったり汚かったりしても、
さほど気にならないんですよね。
いえ、「汚いな」「整っていないな」「見た目悪いな」「不潔そうだな」
とはもちろん思いますが、
そこで何かの感情が起動する、ということはないんですよ。
事実としてそう思うから、
「汚れてるよ」「そこ変だよ」「不潔っぽいよ」と事実を伝えるだけ。

 

私は母には、小さいころから何をやっても怒られてきたという思いがあって、
自分が全く気にしていないところを逐一非難してくるわけですから、
「言うことを聞こう」と思うよりはむしろ、
「この人は放置しよう」と距離を置く方向に向かってしまうのですが、
今となってみれば、思考や感覚の違いだったんなぁと思うことしきりです。

 

NLPの考え方ではVAKと言って、
人によってVisual(視覚)、Auditory(聴覚)、Kinesthetic (身体感覚)の、
優位性が違うというとらえ方がありますが、
それともちょっと違うような。。。

 

例えて言えば、ぱっと相手と対峙した時に、
情報として相手のどの部分を探ってインプットするか?
ということかもしれません。
私は外観で得た事実は意外にスルーですね。
それよりか、その理由のほうをすごく考えます。

 

そうするとこんな事が起こるかもしれません。
もしいつも身だしなみがよろしくなくて身なりの貧相な親戚がいたとして、
うちの母は「あの人はどうしていつもあんな格好なんだろうねぇ」と言い、
私は「あの人って何の仕事してるんだろう、お金なさそうだよね」と言い、
同じ人なのに、母⇒「身なりのよくない人」私⇒「貧乏そうな人」ととらえて、
大きな認識の差になって出ちゃうのかもね。

 

そして数ヵ月後にその人の話題が出たときに、
「あ、あのお金なさそうな人ね」と言って、
「人をそんな風に言うもんじゃありません」と怒られるのだな?たぶん(笑)

 

    *    *    *    *    *    *

 

ここでこれを書いたのは、どちらが正しいか?ということではなく、
同じものや人を見ても違う感覚を持つときがあるということ。

 

だから、どちらかがどちらかに合わせたり価値観の成否を論じ合うのではなく、
その前に「違うんだよね?」という認識が互いに共有されることだと思うんです。

 

家族の様子を見て腹が立つ人はそんなに自分を押さえて我慢しなくていいと思う。
人や自分の見た目が気にならない人は批判されてもそんなに傷つかなくていいと思う。

 

ただしその前に、
感じ方や感情の違いをお互いによく理解し認められるように、
それについての話を本音で忌憚なく話してみる、
というのが大事じゃないかと思います。

 

妹の話はいつも非常に参考になるので、
今度また電話した時には「この日記どう思う?」って、
ぜひ聞いてみたいと思います。

 

というか、勝手に書いて怒られちゃうよね~(笑)
割とすぐにばれちゃうと思うんだよね、でへへへ。

 

 

相性の悪いコミュニケーション

20110429_aisyou_wa.jpg

以前、朝起きてきたばかりの私を見て母が、
「なにその髪!伸びすぎてすごいから、いい加減切ったら?」
と眉間にしわを寄せて突っ込みを入れてきたことがあります。

 

は?と思う私。

 

だって目が覚めたばかりで、まだパジャマの状態なんですから、
普段束ねている髪が広がってボサボサなのは当り前じゃないですか~
それに私の髪は縮毛がかっているので、伸ばしたままだとすごく広がるんです。
それは母も小さいころからわかっているはず。。。

 

そういえばこんなこともありました。

 

車で長距離を運転して帰宅した私を見て、
「うっわー!そのズボン、シワだらけ!もっと格好に気を配ったら?」

 

なぬ?見たらシワは全然それほどでもない感じ。
長時間運転していたらどんな素材のものでもそれなりにシワがつきますし、
運転などしなくてもパンツスーツで腰回りにシワを付けずに、
立ったり座ったり1日仕事するなんてそんなの無理。
なのになんでしょ?この嫌な感じの言い方は!^^

 

で、最近わかったんですよ、あ~そうか、と。

 

うちの母の思考って展開していかないんだな~って。
つまりなんでそうなっているかまで考えが及ばずに、
その場面だけ切り取って見た目で感じたまま、
言いたいいことをそのまま言っているわけですよね~(笑)

 

例えば、雨の中を歩いてきた人の靴に少し泥が付いていても、
すぐに「靴が汚い、身だしなみがなってない!」とは思わないですよね。
たいていの人は、道が悪かったんだろうなと推測して、
それを頭ごなしに責めようなんて思わないと思うんです。
というか私はそうです。

 

でもね、うちの母はたぶんちょっと違うのよね~(笑)
見て汚ければそのまま「汚い」「嫌だ」って言うし、
それが家族なら、お小言としてぶつけてくるので、
カチンと来たり、逆にビクビクしちゃうんですよね。

 

ですが、そう考えるようになってからよくよく振り返ってみると、
若い時に「この人とは合わない、関わって楽しい事はひとつもない!」
とうちの母に感じて口も利きたくなかった自分の気持ちの理由は、
この物事のとらえ方にあったと思うんです。

 

私は物事を展開的に認知するタイプだと思うので、
「なんとかしたら?」とキツイ口調で言われたら無意識に相手の背景を読んで、
・またダメ出しされている・また不満を持たれている・また否定されていると感じて、
(自分が人にそういう言い方をするのは相手にそういう思いがあるときだけなので)
話をするのが辛く苦しくなってくるんですが、
どうやらそういうわけではないみたいなんです。

 

たぶんね、うちの母のようなタイプの人は、
目で見て普通と違う状態はその人にとって異常な状態なので、
単に早く回避したいだけの気持ちで、
「見た目が悪い」「おかしい」「直して」「変えて」「どうにかして」
と、ただ自分の感覚をストレートに言っているだけなんですよね~
どうも、相手の人格とか経緯とか背景とか、
そこまで深くつかんで言っているわけではないようです。

 

でもそうじゃない人は、そこまで含めて言われていると思うので、
ものすごく自分の存在や人格を批判・否定されているように感じて、
そこに大きな齟齬が生じるんだと思います。

 

前職も合わせると、
たくさんの人達に色々な事を教えたり指導してきて10数年になりますが、
結局、人と人との相性や不仲やうまくいかない原因って、
まさにそこに尽きるんじゃないかとこの頃はすごく思い始めています。
とらえ方…認知の差ということになるでしょうか。

 

もちろんこれは私の感覚のほうをベースにしたもので、
うちの母のほうに近い人達からみれば、
何かを言った結果として相手がそんなところまで結論を導き出している、とは、
思わないと思うの。というか、なぜそう思うのかわからないと思う。

 

また、物事を展開的にとらえる私のタイプは動的な思考なので、
話が飛んだりまとまりがなく、
やることなすこと一貫性がなくてとっ散らかっていて、
見た目を一生懸命整える気持ちもあまりなく、軽い感じに見えるかも。

 

そうよね。
だってボタンを付けようと思って裁縫箱を出すと、
ほかにもボタンを付ける洋服があったのを思い出し、
それを探してタンスをあけた途端に、
「そういえば防虫剤買わなきゃ」と思い立ち、
その瞬間には、「確か今朝のチラシに載っていたはず」
なんてことが浮かんでますからね(笑)
そして今度はチラシを手にとって眺め、
肝心のボタンつけは放置のままだったりするわけです^^

 

想像力云々のハナシではなく、
思考がそこだけにとどまっているのかいないのか?
ということだと思います。

 

そう考えると、嫌いな誰かの事もなるほどと納得がいくと思うし、
理由がわかれば、悩まずにうまくやっていけると思うんです。
だって私もそうだったから。
以前は、相性が悪いな~と思い不仲モードだった母でしたが、
今はすっかり仲良し親子です! 
「たぶんこれはこういうことなのだろう」という自分なりの理由がつかめると、
意外に気にせずやっていけるんですよね。

ギスギスしない家族

 

omoiyari_koujunkan.pdf.jpg

私の夫は夜勤のある仕事なので、
たいてい朝に帰宅します。

 

私はその時間帯にはすでに出かけている時が多いのですが、
あるときヒーターの灯油が切れそうだったので、
たまたま朝の外出前に満タンにして出かけたところ、
入れ違いに帰宅した夫に、
「家に帰ってきた時に灯油が満タンなのは本当にうれしい!」
と言われたんですよね。

 

その時は「あらそう?」ぐらいで終わったのですが、
不思議な事に次からは外出するときに必ずそれを思い出すんですよ。

 

で、「確かにそうだよなぁ…」と思って、また入れておく。

 

心理学とか脳科学とか、
そちら的に何かの理由があるのだと思いますが、
不機嫌な表情で「なんで入れておかないんだ!」と言われるよりも、
相手が心から喜んでくれたほうが、再びそれを実行する確率って、
すごく高くなると思うんですよね。

 

そう気が付いてから私は、
自分が仕事で忙しい時でも、
家族が喜んで自分のために家事を手助けしてくれるように、
(ここ↑↑が私のズルイところ(笑)!)
普段から、母や夫が自分にやってくれることに対しては、
いつも以上に、「ありがとう」「助かってる!」
「自分が仕事を続けていけるのもお母さん(お父さん=夫)のお陰!」
と心をこめて(多少演技(笑))と言うようになりました。

 

そうすると、帰ってきたら台所のストーブが付いていたり(母)、
遅く帰宅すると洗濯が終わっていたり(夫)、
自分を取り巻く家族のサポートがどんどん増えて行きました。

 

それに対して自分も、母の起床前に茶の間を暖めたり、
夫の出勤前に車のエンジンをかけておくなど、
「喜んでくれるだろう」という気持ちがベースになって、
面倒な気持ちなど一切なくシャカシャカ体が動くようになりました。

 

    *    *    *    *    *    *

 

夫と二人でやっていた自営業の廃業やそれに続く夫の幾度かの転職、
かなり最近まで感じていた母との相性の悪さ、
それに子供達のあれこれなど、
お互いがお互いを「それってどうよ?」と思う事柄が一杯で、
口を開けば相手への非難や不満が出てしまい、
少し前まではギスギスしていたうちの家族ですが、
今は誰もが仲良く、笑顔をと思いやりで幸せな毎日に変わりました。

 

考えてみれば、今までの私は、
「あなたがこうだから、私がこうなる」「そう感じるのはあなたのせいである」
と、自分が何かを嫌に思ったり、何かを嫌悪するのは、
相手に原因がある事なのでそれが当然だと思っていました。

 

その考えは今も間違っていたとは思いません。
相手の言動が(または相手の習慣や短所そのものが)、
自分に不快な思いをさせるのであれば、
それに不満や腹立ちを抱くのは当然だと思います。

 

なので、その状況を自ら変えようと思ったことはありませんでした。
だって「相手が悪い」んですから(笑)。
(そんなのあなたのほうから変わってよ、です^^)

 

でもね、「相手が悪いから今の自分がこうだ」と思い続けていることは、
逆にそこからの脱出を本気で願っていない事になるんですよね。
本気で嫌だと思ったら、どうにかしようと思うはずです。

 

なのに、
「そのためにはこんな風にすればいいですよ?」ともし言われたとしても、
たぶん自分はやらないと思うんです。よく考えたら、
全てが解決して相手が悪者じゃなくなる状態ってどう?と想像してみたら、
なぜか「それは嫌だ」と思ったんです。冗談でしょ?と思いました。

 

ってことはだよ?
「誰かのせいで自分は今こうである」と思っているのは、
そのほうが無意識に居心地がいいからなんですよね。
「私=非はない 相手=非がある ⇒現在はその結果」
と思っているほうが、自分の優位性を保てるし、
それゆえに気持ちが安定するし、
無意識の居心地の良さを感じとっているのかも。

 

だからそういうのって、
結局、自分がそれを「よし」として、
自分で選択して知らないうちに、
自分が望んでやっていることなんですよね。

 

だけど、ふとした偶然で(たとえ自己都合のズルイ理由であっても)、
自分の行動をちょっと変えてみると、
相手もどんどん変わって来るんです。

 

これは本などで仕入れた聞きかじりの知識を言っているわけではなく、
我が家で実際に起こった事と私の本音を偽りなく書いているものです。
そして自分のリアルな成功体験でもあるんです。

 

一点、ここが巷の本と違って自分らしいな~と思うのが、
私は決して自分の今までを反省して改心し、
これからは家族を愛して行こうと決意してやったのではないということ(笑)。

 

だって無理じゃん、そんなの。
「この人っていったい何でこうなの?」と眉をひそめたり腹立たしく思ったり、
埋められない価値観の大きな違いを持っている水と油の相手に対して、
手のひらを返すように優しくなんてできないです。
そんな相手と居たら、ギスギスしないほうがおかしいです。

 

私は、自分が忙しい時にホイホイと家事や諸事雑事を手伝って欲しいから、
そのためにもいい気分になってもらおう、というあざとい気持ちがあり(笑)、
完璧に自分のためだったから抵抗がなかったんです。

 

でもね、どんな理由であっても、
行動を変えると言うのは結果を変えることなんですね。
そして相手が変われば今度は自分も変わっていくんですよね。

 

だから私は、相手を好きになれずに自己嫌悪してループするよりも、
たとえ口先でもよいから、行動を変える方が先だと思うんです。
心はその結果に後からついてくるように思います。

 

    *    *    *    *    *    *

 

家族の関係が好転してくると、
承認の好循環が起こり始めるんだね。

 

相手を褒めたり、気を配ったり、助けたり、許したり。

 

そうなってくると
逆に言いにくいことでも相手にきちんと伝えられるようになり、
言われた方も「聞く耳」ができているので修正を受け入れてくれます。
負の連鎖ではなく正の連鎖が起こるんだなぁ…とつくづく実感。

 

なので、
そうなるためのキーマンは常に自分。
そのための鍵を持っているのは自分…
そう意識する事で誰もが、
家族を変えていける力を持つのではないかと思うんです。

 

ご家庭がギスギスして苦悩している方は、
ぜひ試していただきたいと思い恥ずかしながら書いてみました。

 

状況を変えるトリガー(引き金)を自分が持っているとわかったら、
家庭だって職場だって、そして「たったひとり」だって、
周囲を変えていけるのだと、この頃は確信しているんですよね。

水加減論争~本気で関心を持つ~

suihanki.jpg

 

この頃、同居している母が、
「お米が固くて食べられない」
「今日のご飯は固くてまずい」
と、再三言ってくるようになりました。

 

結構頻繁にご飯のたびにそう言われるのですから、
決して愉快な気持ちではありません。

 

「いったいどんな水加減にしてるの?」
と疑わしげに聞かれたので、
「いつもこの辺だよ?」と答えると、
「あー、それじゃ固いわ、もっと水加減増やして。」

 

え。。。

 

以前もご飯の水加減にしょっちゅう文句を言われたことがあって、
その時も同じ流れで「ここ」と言ったら、
「それじゃダメ!だからいっつも軟くてベチャベチャしているんだわ」

 

3合炊くのに「3合」の目盛に合わせて、
「それじゃダメ。ひとつ上にして。」と言われたので、
それからずっとその通りにしていたのに、
今度はそれでまた「それじゃダメ」ってどういうことよ?^^

 

この論議はそのあともしばらく続き、
毎回結局平行線。

 

でもね、ご飯のたびに批判的な事を言われるのは、
いくら実の親子でもやっぱり精神的に辛いのよ。

 

反発心旺盛だった若いころと異なり、
今は随分素直にリクエストに応えていると思うのだけど、
何をどうやってもなかなか「これでOK」が出ないので、
さすがに段々どうでもよくなってきます。

 

ですが、あるとき、ふと気が付いたんです。

 

私、本当に心から、
お母さんのご飯のおいしさを願っているかな?って。

 

で、思ったんです。

 

言われたことはやる。
リクエストにはすぐに応える。
でも私、お母さんが炊きたてのご飯を食べて、
心からおいしいと思って満足した気持ちになって欲しいなんて、
今まで一度も思ったことなかったなぁ…って。

 

そうか「こころ」が足りないんだよな。
それを母は敏感に感じ取っているんだよな。

 

こころから本当にそう願うってどういうことなんだろう。

 

そうだ!!!
聞けばいいんだよ、マメに確認すればいいんだ!

 

なのであるとき、尋ねてみました。

 

「今日は目盛のここにして炊いてみたんだけど、どう?
やっぱり固い?」

 

「うん、いいけどもうちょっと柔らかい方がいいかな。
その少し上ぐらいだといいかも。」

 

翌日。

 

「昨日言われたぐらいの水加減にしてみたんだけど、今日はどう?」

 

「あ、今日はちょうどいいよ!
今度からこれにしてくれるとうれしいね。」

 

以後、うちの母は、
「ご飯が固い」とは一切言わなくなりました。本当です。

 

うちの母の不満は、
たぶん「ご飯が固い」ではなかったと思うんです。

 

娘が自分の食事に対して、
思いやりや気配りをしてくれないことに、
無意識に腹が立っていたのかもしれませんね^^

 

(「いい」と言ってくれた水加減だって、
「固い」と言った時のものと同じかもしれないんです。)

 

そうだ、私、
本気で関心を持って「こころ」から願う気持ちに欠けていたわ。
それじゃ、不毛の論議になるのも当然だね。

 

そんなことに気づかされた一件でした。

母を変えた魔法の言葉

 

 

mothers_mobile_phone.jpg
73歳になるうちの母(実母/同居)が、
このたびPHSを携帯電話に買い替えました。

 

母は電話だけでなくメールもやるのですが、
あれこれをよく理解してやっているのはなく、
やっと覚えたひとつの手順を毎回繰り返しているだけなので、
ちょっと手順を間違えたり、勘違いで思った画面が出ないと、
すぐにお手上げ状態になります。

 

すると何度も呼ばれます。
ときには寝ていても早朝に部屋をノックして、
小さな声で「悪いね…」と言いつつも、
負けずに聞きに来ますよ~^^
ですが時間を掛けて何回教えてあげても、
なかなか覚えられずに、すぐにまた聞きに来るので、
その件では、少々家族に敬遠されぎみの傾向も??。。。

 

PHSから携帯電話へは購入時に電話帳を移せないようですが、
母は油絵のサークルに入っているので、
携帯電話を使う頻度が多いんです。
(それが73歳でも頑張って携帯を使っている大きな理由)
(ポジでィブな必要性を痛感したら、人はなんでもやるんですね(笑))

 

けれど、普段からメールで精いっぱいの母を見ていると、
電話帳の登録を、しかもまだ不慣れな新しい携帯で行うのは、
どう考えても難しい気がしました。

 

というか、何度教えてあげても覚えてくれないので、
その手間暇やその後のあれこれを考えると、
自分でやってあげたほうがずっと楽(←自分が)と思っちゃう。

 

ところが安請け合いしてそれを引き受けたのはいいのですが、
そのタイミングで私の仕事が急に忙しくなったため、
なかなかそれに手をつけることができずにいました。
すると、こちらが提出資料の締切などで大いに焦っているのに、
「この人だけ先に入れて」「あ、この人も、ごめん、お願い!」と、
何度も部屋にやってきます。

 

※今思えばうちの母は、電話帳から電話することしか知らないので、
番号を直接打って電話することをを思いつかなかったのかもしれません。
(お年寄りってそんな感じですよね)

 

なので、「だったら自分でやってみたら?」と提案してみました。
すると、「そんなの無理。私には覚えられない」の回答。

 

【娘】
「いや、できると思うよ。」

 

【母】
「そうかしら。。。」

 

【娘】
「うん、大丈夫。お母さんなら絶対できる!」

 

【母】
「なんで?」

 

【娘】
「だって73歳なのに、メールをバンバン使いこなしているんだよ?
(ちょっと↑ウソ~(笑))
絵画サークルの中では当たり前かもしれないけど、
世間一般では、それはすごいと思う!
友達からもみんなに、
『笹ちゃんのお母さんってすごいね』って言われるよ?
そこまでできるんだから、これができないわけがない!」

 

【母】
「そうかしら…」

 

【娘】
「そうなの!
だから、お母さんなら絶対できると思う!」

 

【母】
「ふぅん、そうかね、じゃ、まずやってみる。」

 

特に何かを狙って言ったわけではなく、
単なる思い付きのセリフだったのですが、
この「お母さんならできる」が、
ものすごい効果を発揮しました。

 

そのあとうちの母は、
PHSの電話帳を見ながら携帯に登録していく方法を、
なぜか数回で覚え、(今までは何十回^^;)
その後、ヒマを見ては黙々と熱心に電話帳登録を続け、
そしてなんと、その後一度も聞きに来ることがないまま、
200件以上ある電話帳の登録を、
すべて自力で完了してしまったんです!!!

 

私は心のどこかで「無理だ」と思いこんでいたので、
母が聞きに来ないのは、
作業自体をあまりやっていないせいだと思っていました。
夫も、「オレがやってあげてもいい」と申し出て、
そのうちギブアップした母から頼まれるのを待っていたようです。

 

ところが数日後、
「久美ちゃん、あれ、全部終わったから」というので、
びっくり~~~~!!!!!!!
いや、もう、本当にびっくりした!
あの、何度言っても覚えないし、やらない母(ごめん)が、
「お母さんなら絶対できる!」 
このひとことで、ここまで、”やる”なんて!!!!

 

私は母がここまでできるとは全く思っていなかったので、
自分が発した言葉の効果にも、びっくり!でした。

 

「キミならできる!」「あなたなら絶対にできる!」
この言葉の持つ力って、きっとすごく大きいんだと思います。
きっとそれは、「できない人」も「できる人」に変えちゃう、
魔法の言葉なんですね!

 

皆さんも、頭から「無理」「できないだろう」と思わないで、
ひょっとするとできるんじゃないか?と思う方には、
ぜひ、思い切って使ってみてくださいね。

 

私もちろん、今まで以上にきちんと相手に伝えようと思います!
だって、実際に効果を体験しちゃったんですから(笑)

 

 

母と娘の勘違い(筍一本)

 

takenoko.jpg

ご近所から筍をいただいたので茹でました。
半切りにして茹で上がったお鍋はこんな状態。

 

このあと全部煮物にしようかな、と思っていると、
通りすがりに鍋を見た母がひとこと。

 

「これ、私も別な煮物に使いたいので、
全部煮ないで一本だけ寄せておいてね!」

 

その後、どれを残そうか迷ったので、
鍋ごと茶の間に持って行ってみせると、
「じゃね、これとこれ。」

 

「え?これとこれ?二本使うの?一本って言ったじゃない?」

 

「一本って言ったら筍一本でしょう。
これを一本なんて誰も言わない言わない。」

 

カチ~ン!そうかしら。うーん、いや、紛らわしいな。
なぜ「一本」と言わないのだ(笑)!
しかもなぜ「一本だけ」という少数派を表す表現をするのだ!
4分割したうちの2ブロックならまさに半分なので、
「だけ」じゃないでしょう、「だけ」じゃ、などと思いつつ。

 

うちの母は行った事のないお店の話をしても、
「そうだったね」という相槌を打つので、
家族中から「行ったことあるの!!」という突っ込みが入りますが、
「その相槌はおかしい!」と皆で言っても、
「どこが?」というぐらいの人なので、
言葉尻を捉えてどうこう言うのはもういたしません。

 

ですが、場合によっては、
「一本」と「一本だけ」が与える印象の差は大きいし、
「そうだね」と「そうだったね」では全然ニュアンスが違いますよね。

 

そして人はその小さなニュアンスで、
相手の真意や主旨を次々と判断しながら話を聞いているので、
現実がそれと違うと「え!」となっちゃうんですよね。

 

私と母の会話は、こんなエピソードが満載なので、
また出たらまた書きますね。

 

 

 

 

 

 

 

「言った言わない」が起きる理由

 

 

itta_iwanai.jpg
今は仲よし母娘ですが、
以前少々よろしくなかった時期の名残で、
今もたまに母とは、「言った言わない」で険悪になるときが。

 

ですが最近はお互いにかしこくなって、
「自分はこうだからこう思った」と、
相互にヒヤリング?をしあって解決に努めるので、
この頃は決裂することはなくなりました(笑)。

 

最近あったエピソードを二点書き出します。

 

【饅頭はどこで買った?】

 

「おいしいね、このお饅頭。どこで買ったの?」

「それがいつものお菓子コーナーじゃなくて、
入口のところでお菓子屋さんが出店していたのよ!」

(数時間後)

「さっきパワーズ行ったら、もうお菓子屋さん居なかったよ。」

「えっ!!あなた人の話をどこ聞いているのよ。
ヤマザワで買ったってちゃんと言ったでしょ?」

「えっ!!!『ヤマザワで買った』なんてひとことも言ってないよ!」

「ほら、また人の話を聞いていない!あんたはいっつも…(以下略)」

「お母さんこそ、言ってないでしょ?絶対言ってない!自信ある!」

「またそうやって人のせいにして何でも自分が正しいと思って…(以下略)」

(険悪)(険悪)(険悪)(険悪)

 

これを解説付きで詳しく説明すると以下のようになります。

 

、街場に出かけた帰りに近所のヤマザワに寄って来て疲れた話。)
、単なる世間話なのでスルーモードでうなづく程度)
、ここでお饅頭を出す)
、食べる。うまい!いつものとは違うようだ。)

 

、母は外出するといつも三越の地下などでおいしいお菓子を買ってくる。
見慣れないのでこれも、三越で買ってきたのかな?と思う。)

 

娘「おいしいね、このお饅頭。どこで買ったの?」

 

、先ほどまでヤマザワの話をしていたので、
てっきりその話の続きと思いそのままつなげる。)

 

母「それがいつものお菓子コーナーじゃなくて、
入口のところでお菓子屋さんが出店していたのよ!」

 

、心の中でヤマザワの世間話はとっくに終わっている。
『いつものお菓子コーナー』は娘にとって突然出て来た新たなキーワードである。
が、『いつものお菓子コーナー』なんだから、
毎日利用するパワーズだと思う。というか完全にそれをイメージして聞いている)

 

、なんだ、三越じゃなくパワーズで買ったんだ、と思いながら食べる)

 

、正確に伝わっていると思っている。
さきほどの回答で十分伝わった(=言った)と思っている。)

 

お互いの言い分と、
その後のふたりの分析を突き合わせると、
こんな感じでしょうかね(笑)

 

【旅行先はどこ?】

 

「じゃ、行ってきまーす」

「え?今日は一体どこに行くんだっけ?」

「また~、あんたって本当に人の話を聞いてないわね、
昨日、1泊2日で白神に行くって言ったでしょ?」

「(恐る恐る)昨日は、言って…ないと…おもうんだけど^^;??」

「言いました!」

「いつ?」

「スケッチ旅行に行くって何度も言ってるじゃない?」

「それは何度も聞いたよ?でも迷っているとも言っていたし、
結論を聞いていない気がする。その後どうなったかは聞いていないし、
いつ、どこに行くかは、一度もきちんと言われていないと思うけど?」

「なんでそう、へ理屈ばかりこねるの?」

「これのどこがへ理屈なのっ??」

(険悪)(険悪)(険悪)(険悪)

 

いや、たぶん本当に”きちんと”は言ってないと思うんですよね。
私が思う”きちんと”とは、ちゃんと目を見て、
「いつからいつまで、誰と、どこそこへ行くからね」という伝達なので、
その形式の申し送りがなければ、
自分への明確なメッセージとは思わないかも。

 

こうやって見ると、二人の会話の思考回路にはそれぞれに特長があって、
その違いが齟齬の原因になっていることがよくわかりますよね。

 

=娘はいつも自分の話をすべて全部身を入れて聞いていると思っている。
なので一度でも口に出したら、それがどんな状況でも「言った」であり、
きちんと伝わっているかどうかには、あまり関心がない。
かつ、自分の認識はいつも正しいと思っている。

 

=母の話には常に重要度のタグをつけて聞いている。
とりとめのない世間話や愚痴、迷っているトークは、
結論ではなくプロセスと判断しているので、傾聴の優先順位は低い。
なのでそれが正規の「伝達」とは夢にも思わない。
相手もそんな聞き方をしているはずと考えていて、
自分の予定はいつもきちんと伝えているが、
相手もまた自分に対してそうしてくれると思っている。

 

こんなところでしょうか。

 

人の会話や話の聞き方には癖があるので、
何を持って「言った」「聞いた」なのか、
その認識の違いが齟齬を生むとも考えられます。

 

コールセンターの研修経験者としては、
その違いが人によって非常に大きいと感じていて、
その差を埋めるための工夫を、
先に気がついたほうが(あるはそれができるほうが)
「どっちが悪い?」のこだわりを捨てて、行っていったほうが、
両者が上手くいくことが多いように思います。
人間関係もまた、しかり、だと思います。

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人材育成コンサルタント、プロコーチ、研修・講演講師 笹崎久美子の外部ブログ。
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