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心地のいい関与

h200助ける


先日、ある大学で、
教職員の皆様向けにハラスメント防止の研修を行い、
後半は声掛けや傾聴や、
意思表示についてのお話やロープレをしたのですが、
終了後にこんな質問をいただきました。


「(人に関わるという事が)過干渉ということで、
それもハラスメントと思われる場合もあると感じたのですが。」


少しニュアンスが違っているかもしれませんが、
そんなお尋ねでした。


あぁ、過干渉か。。。うん、そう、過干渉よね。


質問された方のお席が遠かったので、
私は一瞬「多汗症」と聞こえてしまい、
主旨がよく飲み込めないまま、
推測で少々噛み合わない返答をしてしまいましたが、
自分がこう回答したのはよく覚えています。


「人は元々関与されることがうれしいはずなんですよ。
だから、その内容によるんじゃないでしょうか。」


    *    *    *    *    *    *


人数が少なく会場も狭い企業研修などと違って、
100名規模以上の講演形式の研修は、
質問者との距離が遠く、会の進行上回答時間も限られており、
心に浮かんだことをとっさに短く答えるしかなく、
毎回、帰りの車の中で、
「こう言えばよかった」とか「言葉が足りなかった」とか、
その都度必ず反省材料になるんですよね。


今回は、ああは言ったものの、
私自身も過干渉が大嫌いで、
他人の関与を拒絶していた時期があるので、
「言い切ってよかったんだろうか」と少し揺れたのね。


でもすぐに思い直して、
やっぱり良かったと思いました。
というのは、
転んで書類をばら撒いてしまった時に、
拾ってくれる人がいたらうれしいし、
コインパーキングの出庫で万札しかなくて、
清算機で固まっているときに、
後ろの車の人が両替してくれたらすごく助かるし(実話)、
「オレの友達が◯◯の講師を探しているんだけど」
なんて言ってお仕事を紹介してくれたらとっても幸せ♪


人って一人ではどうにもならないときが多々あるので、
助け合ったり、気遣い合ったり、
認め合ったり、大切に思い合ったりすることが、
お互いに社会を乗り切っていくチカラになると思うんです。
だから、やっぱり本来はその人にとって必要な事で、
「うれしいこと」だと思うんですよね。


だけど、その手をうっとおしく思い、
払いのけたくなる気持ちも、私、よーくわかるの。


私ね、うちの母の見送りが大嫌いだったんです。
家族が出かけるのを別の家族が玄関まで見送るのは、
本当はとってもいいことなので、おかしいでしょ?


でも、うちの母の見送りは、
髪の毛とか服装とか身だしなみとか、
自分が気になったところをいちいち言ってくるので、
私はすごく嫌だったんです。


それも、ボタンが取れそうとか後ろにシミがあるとか、
そういう事ならありがたいのですが、
私には理解できない感性で、
常に批判的に人をジャッジしてくるので、
腹が立つのを通り越して、段々面倒になって来て、
やがて出かけるときは、足音を忍ばせて、
気付かれないように玄関を出ていくようになりました。


そんな感じですから、家にいても関わりたくなくて、
新しい服を着ているときに「あら、買ったの?」と、
言われるのも嫌だったし、
流行の歌をCDで流しながら何かをしているときに、
わざわざやってきて「これ、誰だっけ?」と、
言われるのも嫌だったし、一緒にハミングされるのも嫌だった。


その状態だと、
万が一本当に緊急度や重要度が高い悩みがあっても、
私は絶対に相談なんかしないよね。
むしろそれなら、その悩みが継続したほうがまだマシ。
そう思うから相談しないんです。


今は、分かり合えて仲のいい母娘ですが、
自分の経験を通して思うのは、
人と関わっていい思いをしたことがないと、
人との関わりを否定するようになるんじゃないか?ということ。


研修でも触れましたが、
過去にいじめられた経験がある人って、
無意識に、でも極度に他人に無関心になるんですよね。


そこまでいかなくても、嫌な経験が多い人は、
他人への関心は失わなかったとしても、
他人が自分の守るべき精神領域に入ってくることは、
断固拒絶すると思う。


でもね、「人と関わる」ということは、
本当はそういう事じゃないと思うの。
ジャッジして批判してダメ出しして修正を命令するのでなく、
困れば手伝って、苦しければ助けて、
必要なら与えて、大切に思っているよ、という、
サインを送ってあげることだよね。


もし、他人からのそういった誠実な関わりを、
「過干渉」と捉え、ハラスメントと感じるような人は、
助けられて手伝ってもらって、
与えられて大切に思われた経験が、
少ない人なんだと思います。


疲れてうたた寝しているときに、
そっと毛布をかけてくれるのではなく、
「こんなところで寝ちゃダメでしょ」と怒られる。


忙しくて手が回らない時に、
「手伝いましょうか?」と言ってくれるのではなく、
「これはあなたの担当だからちゃんとやってよね」と、
くぎを刺される。


家でも仕事でもそんな関わり方ばかりされていると、
他人は自分を脅かす存在になっちゃって、
できれば構ってほしくないという心情に至ると思う。



だったらやるべきことはそこからだよね。
理想や建前や役割や上下関係などは、
この際、ちょっと横に置いておいて、
まず「人として」心地のいい関与から始めるのがいいと思うの。
といっても、すぐに内面に踏み込むことはせずに、
物レベルでよいと思います。


重いものを持ってあげたり、
落としたものを拾ってあげたり、
傘がなければ傘を貸したり、
それを、普段やらないような立場の人が、
敢えてやることにポイントがあるんじゃないかしら。


決して全人的に日常的に継続的に「甘やかす」のではなく、
限られたところの限られた範囲で、
付かず離れずの、濃さのないサポートというかね。。。
うん、そんな感じ。
("その場限り"を印象付けたらセクハラにもならないんじゃないかなぁ)


    *    *    *    *    *    *


研修の時には時間がなくて言えなかったけど、
私はきっとそういうことを言いたかったんだな。


質問者の方、ここ見てくれるかな。
私の回答は以上です。


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