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多様化のその逆

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先日、新卒の方達の研修をしました。
返事→なし?動作→ノロノロ?お話→語尾が不明瞭?

 

でも私の友人が言っていました。

 

「新卒の人達は言えばやるんだって。
しかも教えればかなりやるみたいだよ。
だから決して”できない”わけではないんだよね。」

 

それを聞いてふと思ったのは、
そういう若者にしちゃったのは、
私達(親世代)なんだろうなぁ…ということ。

 

自分について考えてみれば、
確かにモノの良しあしとか、マナーとかしつけとか、
あまりきちんと子供達に教えて来なかった気がします。

 

親の価値観を押し付けることに否定的な世間の風潮もあったし、
自分自身も何かと批判的な親の不満や指摘で、
あまり家で心が安らぐことがなかったため、
子供達はのびのびと個性を尊重して育てようなんて思って来たけど、
今思えばそれでよかったのかなぁ…などと思う事も。

 

大きくなるに従い、「人はそれぞれだから」と意識し過ぎて、
本当に教えるべき事までふっ飛ばしてしまったような?
あるいは、頭ごなしでなく感情的でもなく縛りつけでもない教え方が、
よくわからなかったのかもしれないし、
そんなところを気にすること自体が、
正面で向き合うことを避けたい気持ちや、
衝突への恐怖感があったのかもしれないね。

 

職場もまたしかり。

 

挨拶がきちんとできなくても、
「人見知りなのかな?」「恥ずかしがりなのかな?」と思ってしまったり、
場にそぐわない行動や発言があって、
カチンときても誰もそれを指摘する人がいないのは、
自分が正しいのかどうか、それを注意すべきかどうか、
ならばどう言えばいいのか?
またはそもそも自分がその立場にあるのかどうか?など、
誰も自信が持てなくて、誰もそれがわからないからなんですよね。

 

立場が上の人でも、
下の人のマナーの悪さや物言いを指摘することは、
「俺を敬え」と同義になってしまうので、
なかなか言いづらいし結果として誰も何も言わない。

 

でも最近私、思うんです。
人の成長には適度な摩擦と葛藤が絶対欠かせないって。
超えて行けそうなものなら、摩擦と葛藤は、
何もないよりはその人のためにそれなりにあったほうがいいかも。

 

癖のある上司、相性の悪い同僚、言うことをきかない後輩、
環境のどこかに「なぜ」と思う不条理があって、
自分ではどうにもならないおかしなしくみとかルールとか、
そういったことと折り合いをつけていく過程の先に、
人としての成長があるのなら、
職場はそれほど理想的でなくてもよく、
人はそれほど「いい人」でなくてもよく、
私はちょっと口うるさく頑固なオバチャンでもよいのかな?って。

 

なので最近は気が付いたらすぐに言うようにしているんです。

 

「返事がないよ」「動作はキビキビとね」「呼ばれたらすぐに立つ」
「正対する、頭動かさない、肩も動かさない」
「相手の顔見て」「意見は語尾まできちんと」

 

私は接遇やマナーの講師ではないのですが、
・そう思う人がいる ・誰かにそう注意された
その事実は皆さんの心に小さな小石を投げかけると思うんですよね。
そして今度はその視点で周囲を見渡し始めると思うんです。
だから言うの。若い人達のためにね。

 

挨拶や返事が明朗で、動作がキビキビしていることがなぜいいのか、
そんなこと誰も科学的になんて答えられない。
でも「型」とか「スタイル」って意外に大事なんですよね。
見た目の清々しさというのは空気を引き締めメリハリをもたらし、
人の気持ちをシャキッとさせて、いい効果をもたらすはずです。

 

先日の新人さん達は、コミュニケーションの研修なのに、
冒頭から私に「返事」とか「すばやく」などと言われて、
ちょっと戸惑ったかもしれません(笑)

 

でもいいの。
価値観は多様性も大事だけど、集団で合っている事も大事。
それを言葉できちんと伝えるのも、
新人さん育成の第一歩と思います。

 

 

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