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もうすぐ3月11日①

震災の夜にインスタントラーメンをつくる母



東日本大震災からもうすぐ4年。
もうすぐ4年目の3月11日がやってきます。

有料でユーザー登録している、
PHP社の社員研修用ビデオアーカイブで、
今日、たまたま『早わかりシリーズ 新・危機管理編
これだけは知っておきたい「私たちの地震対策」』

というのをメンバーサイトからネット経由で見たら、
(実際は、お目当てのものと間違えて見てしまったのですが)
冒頭に「かもめの玉子」で有名な、
さいとう製菓の齋藤社長の
震災時の以下のビデオが使われていて、
それでふと、そういえばもうすぐ、と、
思い出した次第です。


・In my case of making the escape from East Japan great earthquake こうして津波から避難
・東日本大震災からこうして避難・そして大津波


この動画は震災後すぐに私も見ました。
我家は電気の復旧まで5日かかり、
それでも仙台市内では遅いほうだったと思います。


いまこうやって「5日」と書くと、
あんまり大したことないように感じますが、
実際にはわずか5日でも、
電気が全く来ないのは結構キツイです。
電話や携帯、TVやインターネットが全く使えず、
入ってくる情報が限られるだけでなく、
こちらからも一切何も発信できないからです。


特に私は自営業なので、
予定されていた仕事の連絡や、
ほかの人にお願いしていた色々な事、
お願いされていた色々な事、
そんなすべてのことへの対応が、
全く不可能になってしまい、
5日間といえども、とてもやきもきしました。


・・・と言いながら、電気が再開して真っ先にしたことは、
ほぼ同時に再開したインターネットで、
各社のニュースサイトを見たり、
Youtubeで動画を見ることでした。

林成之先生の「脳に悪い7つの習慣」によると、
脳細胞がもつたった3つの本能は、
「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」
ということだそうなので、
特に大きな被害もなく命が脅かされなかった私にとっては、
「知りたい」が優先されたのだと思います。

そのときに見た、各地の津波の動画は、
決して牙をむいて襲いかかるような、
荒々しく激しいものではないのに、
ただ海面が何mか上昇するだけで、
家々が浮き、緩やかに動きだし、やがて流され始めて、
一見静かな感じで町が水に浸されていく、
不思議な感覚のものが多くありました。


たぶん、安全な高台に避難した方達が、
遠くから撮っているからだと思うのですが、
津波と言えば、ビッグウェンズデーのような、
驚異的な高波をイメージしていた私にとっては、
震災直後に見た動画の数々は、
意外なほど静的なものでした。


写真は震災当日、
暗闇に懐中電灯を照らして、
果敢に?インスタントラーメンをつくり始めたうちの母です。
本人いわく「腹が減っては力が出ない」。
非常時だし夕ご飯も別にいいかな?なんて思っていた私をしり目に、
さっさと料理し始めました。
※この写真は、佐藤正実さんのところの
20世紀アーカイブさんにもお渡ししたので、
ご覧になったことがある方もいらっしゃるかもしれませんね。
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絵本「雑草の暮らし」

雑草の暮らし



本屋さんでひと目見て気に入って、
自分のために買った自分の絵本です。
畑の一角の空き地の雑草が、
5年間で変化していく様を描いたものですが、
その様子がとてもリアルで身近なので、
大好きな絵本です。


私は小学校6年生の途中まで、
仙台駅の東口に近い地域で育ち、
その後、福島市→仙台市八木山と二度の引っ越しを経て、
今住んでいる袋原には中学生の時にやってきました。


袋原はそれまで住んだ地域に比べると、
やっぱり少し田舎っぽくて、
街に近い密集地や古い住宅地にしか住んだことがない私には、
なんとなく心がこの地に定まらないような、
どうにも落ち着かない感覚があったのですが、
それは植生が違うからではないだろうか?と、
思い始めました。


私が育った東口近くの郵政アパートの周りには、
当時、陸運局の跡地や宮城バスのバスプール跡など、
全力で走れるぐらいの広さの空き地があって、
人があまり足を踏み入れない隅っこのほうに行くと、
雑草が一杯生えていて、
シロツメクサで花輪を編んだり、
オオバコで草相撲をしたり、
フェンスに絡んだヤブカラシの実をままごとで使ったり、
秋には、バカと呼んでいたオナモミを集めて、
人に投げつけて遊んだりしました。
秋の1日をひとしきり外で遊んで帰ると、
靴下にはアメリカセンダンの実が一杯くっついて、
チカチカと痛くてとるのに一苦労しました。


でも袋原の家の近くの空き地は、
なんだかわからない大きな葉っぱの植物が、
ジャングルのようにうっそうと生い茂っていて、
中に入ったら動物の死骸とか足元にあるんじゃないか?
ぐらいのちょっと気味が悪い感じで、
街場や住宅地の空き地とは全然様子が違うなぁと、
いつも思っていました。


でもこの絵本を読んだら、
それだけでもないことがわかりました。
空き地の雑草って、
年を経るごとに様変わりしていくんだね。
今まで私が遊んだことのある空き地は、
空き地になってまだ数年の状態で、
今住んでいる袋原の家の近くの空き地は、
空き地歴(?)が長いということだったんだな。


この絵本の中にある冬枯れの空き地の様子は、
まさに最近までの家の近くの空き地にそっくりで、
それで、ものすごく親近感を感じて買ってしまったんですが、
その空き地も今は家が建ちました。


昨日は啓蟄でした。
春と言えば私はオオイヌノフグリや、
おさらこばなを思い出します。


オオイヌノフグリはこれ。
d20607ee_w200.jpg


おさらこばな はヒナギク(デイジー)のことですが、
私の育った東口の地区ではそう呼んでいました。
img_49531_23345974_0_w200.jpg


オオイヌノフグリもおさらこばなも、
やっぱりこの辺ではあまり見かけないなぁ。。。
やっぱり田畑の多い地区と街中では、
何かが違うのかな。


でも私、この絵本を読むと、
子供達がまだ小さかった頃に家の近くにあった、
袋原の空き地のことをすごく思い出して、
今度はそちらを懐かしく思い出したりするわけですよね。





Word(ワード)で作ったチラシ展示館 その2

※個別のチラシの簡単な解説は一番下にあります
展示館



実はワタクシ、デザイン学校出身なのです。
でもデザインやレイアウトがやりかったわけではなく、
(そもそもそちらは苦手でございまして^^)
広告を企画したりコピーライティングに興味があり、
学校案内を見てここに入学したらそっち系の仕事に近づけるのでは?
などと思って入学したのが本音です。


だから絵を書くのも大嫌いだし、デッサンも超苦手!
授業はサボリ、卒展は出品せず、
2つの広告代理店でアルバイトして、
少しだけ広告制作の現場に携わることができたのが、
入学して得た最大の収穫という、
とんでもない学生でした。


その後、デザイン会社でちょっとだけ働きました。
広告コピーは結構書きました。
ですがセンスも絵心もないので「デザイン」が苦痛で性に合わず、
次に転職した写植版下会社で「こっちの作業の方がずっと楽しい」
と思いました。広告制作なんてもう辞めた!と心底思いました。
デザイナーが書いたラフスケッチ(イメージ図)に従って、
精密に組版していく方が心から没頭できて、
とても楽しかったのです。


そのとき思いました。
私はデザイナーにはつくづく向かないんだって。
無から有を自由自在に作り出していくよりも、
あらかじめ仕上がりの決まっているものを、
設計図通りに作り込んでいく方が性に合うんだなって。
ま、そりゃそうだ。初めからそんなに「目指して」ないし、
コピーを書きたいから付随してやってたようなもんです。


やがて結婚で家庭に入ったのですが、
写植版下会社で知り合った夫がその仕事で独立したため、
夫と二人でそのあと8年ぐらい写植版下業をやっていました。


※そのいきさつやエピソードなどは、
アメーバで別途細々と書き続けている、
笹ちゃんのインターネットヒストリー」をご覧ください。


あれから早20年。
プロコーチ&講師として独立して、
自分のチラシなどが必要になり始め、
お金なんて全然ないので仕方なく、
手近に自分でボチボチとWordで作り始めました。


Word。ちゃんと使った事なんかなかったです。
あれはハッキリ言って、本当によくわからないソフトです^^
そのときでさえ、意味わかんない事がたくさんあって、
とてもとても「わかって使っている」という状況じゃなかったです。
今も自分はWordのワードプロセッサーとしての基本機能は、
ほとんど無視して使っていません。
何もかも描画で突っ込んでマウスで配置しているだけなんです。


それが意に反してなかなか好評で、
それがきっかけで友人からチラシのご依頼をいただいたり、
チラシ作製指導の講座や、
スタッフ訪問指導のお仕事が入ったりするようになりました。
所属している団体でも広報委員長として、
チラシなどを担当するようになりました。


こんなことやっているから、
何屋さんかわからなくなってしまうのですが^^
個人コーチングと社員教育を専門にする私が、
Facebook講座をやったりチラシ講座をやったりするのは、
食べていくために何度も転職してきた自分の財産でもあり、
「教えて欲しい」という人がいたら喜んでおすそ分けしたい思いです。


あんなに嫌いで苦手で、
不向きだと思っていたレイアウト作業なのに、
今やってみるとその当時もよりもずっと楽しく、
しかもなぜか当時よりもずっとうまくできているのが不思議です。
時間を経るということは、実際にその作業に携わっていなくても、
人の能力や感覚を確実に向上させているものなんですね。



満月ささ塾チラシ
Word2010で作りました。魔女の画像はオフィスオンラインから。
画像の縮小はフリーウェアのIrfanViewを使用。
画像の編集はフリーウェアGIMPを使用。
基本的に写真や画像の編集はほとんどフリーウェア(無料)です。
一番最近のWordチラシです。


最終版_佐々木則夫監督_3_w800
Word2010で作りました。
背景のサッカー場の画像はオフィスオンラインから。
監督の写真は先方から提示されたものから選択。
画像の縮小とトリミングはIrfanViewを使用。
地図は会場のHPからちょっと拝借^^



最終版_216_大棟耕介ちらし_w800
Word2010で作りました。
写真は先方から提示されたものから選択。
タイトルはホームページビルダーの、
ウェブアートデザイナーで作成。
「喜び・夢・笑い・希望・愛」の部分は、
フリーウェアのurl2bmpでホームページを画像化して、
ウェブアートデザイナーで周囲を編集しました。
(url2bmpはこちらのブログでも大活躍しました)
下段の予告コーナー部分は他の方が直したものですが、
他の人の手が入るとレイアウトの統一感がなくなりますね。
でも諸事情でそこは割り切っているところです。



東谷先生講演会チラシ0124版_h800
Word2010で作りました。
背景のメーン写真はオフィスオンラインから。
写真は手持ちの写真で、本の画像はアマゾンから。
大きなタイトル文字はホームページビルダーの、
ウェブアートデザイナーで作りました。
画像の縮小等や切り抜き等はIrfanViewを使用。
期日、時間、会場部分の作り込みが甘くて気に入っていませんが、
このときは時間がなくて、見切り発車しました。
チラシ作製は時間優先で割切らないとダメなときもあります。



20111221_集い_相田晃輔様チラシ_h800
Word2007で作りました。
光のページェントの写真はフリーの写真サイトから。
似顔絵は先方にお送りいただきました。
写真のトリミングはIrfanViewを使っています。


ブログ掲載に当たっては、
Wordファイルを直接画像にはできませんので、
まずPDFで保存して、
その後PDF-XChange Viewerで開いて、
JPG形式にエクスポートしています。
また冒頭の連結画像はIrfanViewで作成しています。


※旧ブログにWordで作ったチラシ展示館 その1があります。
当時は感じませんでしたが、
今見るとやっぱり今の方が慣れている感じがします。
日々進歩しているんですね。

タイミング

DSC_0986tw600.jpg



今日は仙台市のある会社さんに、
PC指導に伺いました。
社員の方にWordで見栄えのいいチラシを作る方法を、
教えにご訪問したのです。


この会社さんはスタッフの皆さんの気配りがよく、
いつもとても感心します。
今までも何度かお訪ねしているので、
皆さんともすっかり友達状態なのですが、
それでも最初と最後にはきちんと挨拶をしてくださって、
いつ伺っても気持ちのいい会社さんだな~と思います。


せっかくなので会社さんのPRもしてあげようと思い、
皆さんの了解を得て写真を撮り、
それをFacebookにアップすると、
私の友人から早速コメントが付きました。
「隣にいるのはCさんかな?」


Cさんはfacebookをされないので、
私が自分のPCでそれをお見せすると、
「そういえば引越しのメールを送ったんですよ」。


ですが、私の友人に新居のメールを送ったのですが、
返信が来なかったので届いたかどうか不安だったとのこと。


早速それを友人に伝えると、
携帯から機種変更した新しいスマートフォンで、
アドレスが一度全部消えてしまった事があり、
メールは届いていたものの、
誰からのメールかわからず削除してしまったみたいなんです。


ですが友人はそれをずっと気にしていて、
ようやく真相がわかったため、
先ほどお礼のメッセージが届きました。


偶然って不思議ですね。


私がたまたまその時写真を撮ってアップし、
たまたま友人がそれを見てコメントをつけてくれたことで、
友人とCさんがつながり、
二人の謎が解決したのですから、
こういうのって、本当にタイミングだなぁと思います。


友人は最近、身の回りのものがどんどん解決していくそうです。
きっと今は良いめぐり合わせを引き寄せているんですね!

三味線のお稽古

DSC07371t_h800.jpg



仕事が落ち着いてきたので、
半年以上も中断していた津軽三味線の練習を再開いたしました。


津軽三味線はね、前からやってみたいと思っていたんです。
そしたらちょっとしたきっかけで「習ってみませんか?」と誘われ、
「おー、なるほど、やっぱりチャンスは向こうからやってくるのよね!」
と、二つ返事でOKしたものの…


その後お仕事がとんでもなく忙しくなって、
お稽古の約束をしてはキャンセル、してはキャンセルが続き、
段々先生にも顔向けできなくなってきて、
なんか嫌~な感じのまま、中断してしまっていたんです。
もちろん、練習もストップ、
何を習ったのかすっかり忘れるぐらいに放置モードでした。。。


数か月も連絡を絶ったまま、またお電話するのは、
やっぱりすごく勇気ががいるんですよ。
勇気と言うか、気合ですね。
でも、「こういうことをきちんと片づけておかないと、
仕事にも暮らしにも絶対影響でるぞー!」と自分に言い聞かせて、
ある日、お電話。
そして今度は先生の家ではなく、先生が講師の一人として参加している、
あるカルチャーセンターのほうに通ってみる事にしました。


    *    *    *    *    *    *


私の三味線は先生からお借りしているものです。


ひっさしぶりに三味線を出してみると、
ぎえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!
裏側の皮の部分が裂けている!!!!!!
ど、ど、どうしよう。。。


これもまた、勇気と気合で先生にお詫び。
先生は「稽古しないとこうなるの」とチクリと皮肉を言いながらも、
一笑に付してガムテープを貼ってくださいました。
恐る恐る「これ、修理するとどれぐらいかかるんですか?」と尋ねると、
「うーん、5万円ぐらいかな。」ひえぇ~~~~。。。
さすがに、これっばかりは、「あぁ…」とつぶやいたまま、
なんとなく、聞かなかったことにしてしまいました(笑)


    *    *    *    *    *    *


三味線はとにかくちゃんと音が出ないです(笑)
思ったように弦にバチが全然当たらないので、
リズムとかメロディなんて、とんでもない話です。
先のまた先のずっと先という感じです^^
プロの方でもここ一番の出だしでカスってしまうときがあるそうなので、
まずは叩きたい弦をちゃんと叩けることだよなぁ。。。


あと、バチの持ち方も独特で、なかなか手が定まりません。
「音出しだけでは飽きるから」と先生が教えてくれた簡単な旋律も、
ギターのようにフレットがないので、
雰囲気で抑えるからなんか変な音だ~(笑)
それからすぐに弦が緩んで音が狂ってきます。も~大変。
しかも!!私、民謡とかは全くわからないので、
先生が何か弾いてくれて「これ、聞いたことあるでしょ?」
と言われても、はぁ、、、みたいな^^


そうだな、私、いったいどこで、
津軽三味線がかっこいいと思ったんだろう。
あ、そうか!やっぱり細川たかし(望郷じょんから)とか、
北島三郎の風雪ながれ旅とか、紅白などでそういうのを見て、
「あぁかっこいいなぁ」と思っていたんですよね。
(先生、民謡じゃなくて、す、すみません。。。)


ですが、実際に自分で弾いてみると、
なんともひどいものですね。
幸い今は三味線の動画がネットにたくさんあるので、
ひとつ見始めると次から次と見てしまうのですが、
長山洋子さんなんて、あれはやっぱりすごいですよ。
自分でやってみて初めて、ああいう人達はすごいんだ、と、
思い知らされます。


三味線教室への行き帰りは車なのですが、
行きは良くても帰りはそれまで運転しながら聞いていた、
J-POPや洋盤のCDをものすごく聞きたく”なく”なります。
どうにも気乗りせず、音楽やラジオから遠ざかりたくなるんです。
世界観が全然違うので、三味線を弾くための思考を邪魔するんですよね。
これ聞いたら、さっき習った事が上書きされてしまいそうで、
今、耳に残っている音や手の感覚を、
失わずにそのまま家に持ち帰れないような気がしてくるのね。


こういう感覚は初めてだなぁ。。。


まずは何か津軽三味線の曲をiTunes Storeで探して、
車で聴けるようにしようかな。
耳で聴くっていうのも大事だと思うんですよね。
再会した三味線のお稽古ですが、
やったことないことを始めるというのは、
発見や、へぇなるほど、と思うことが一杯です。
なんでもそうですが、覚えたてというのは、
うまく行かないことも多いけど、何事も新鮮です!





民間ご出身

j0433048.jpg


昨日、県内のある公民館の担当者さんからお電話をいただき、
仕事の相談などをさせていただいたのですが、
明快でわかりやすいご主旨の説明や、
テンポがよく無駄のないお話の仕方が素晴らしかったので、
思わず尋ねてしまいました。


「○○さんは民間のご経験がおありですか?」


お答えは、はやりYESでした。
そこから少し簡単なご経歴をお話いただき、
ものすごく納得しました。
また共通点も見つかり、とても話が弾みました。


その道一筋に若いころから公的な機関で、
熱心に色々取り組んでいらっしゃる方には、
大変失礼な言い方になると思うのですが、
民間企業等で働いたご経験のある方って、
やっぱりどこかが違うんですよね。
例えば、発想とか手際とか物事の進め方とか、
そういったところでしょうか。


学校さんでもそういう事が多く、
「この校長先生のお話は心から共感できるなぁ…」と感じていると、
実は同じようなお話を伺うことがよくあります。


私は熱意と工夫で仕事に取り組んでいる、
公務員の友人もたくさん知っているので、
こんな事を書くのは内心心苦しいのですが、
公務員の友人たちの話を聞くと、
一生懸命なんだけど、その一方でどこかあきらめもある…
みたいなところかなぁ。


きっと組織が大きくてそれなりに縛りも多く、
色々な仕組み上、なかなか思い通りにいかない点を、
ゆるやかに承認しているのだと思います。


行政に関しては何かと批判的な声が上がりやすいですが、
私はそれもある程度仕方ないと思うんです。
だって目指しているものの意味合いと具体性が、
全然違いますもん。


いわゆる民間企業は売り上げを上げていかないと、
組織が立ち行かなくなるので、
上の人達は真剣で必死だし(たぶん^^)、
特に「教育」を強く意識しなかったとしても、
その空気というのは自然に周りに伝搬していると思うんです。
そして結果も、数字と言うわかりやすい形で現れます。
それは組織としてのモチベーションや緊張感につながります。


でも考えてみたら、行政に携わるような方達には、
「売上」のように、有無を言わせずにわかりやすく、
大きな全体が迷わず同じ方向を向けるような一大目標ってないもんね。
(そういうことは詳しくないけど、ないような気がします)


私はセールス系の仕事もしたことがあるのですが、
一体どうしたら売れるんだろう?と、
当然、ものすごく考えました。


そうじゃない仕事の時であっても、
製造系なら、不良品を出すときちんと注意されましたし、
制作系なら、納期を守るために皆で深夜まで残業しましたし、
電話系なら、お問い合わせに答えられないとお客様に怒られましたし、
人材系なら、職場に不向きなスタッフへのクレームで悩んだりしました。


自分にとって、仕事の問題=自分個人の問題 であることも多く、
自分が会社の業務に支障を出す張本人だと気持的にも辛いので、
後ろ向きな理由ではありますが、そうならないように、
努力も工夫もそれなりにしてきたかもしれない。


そういう切羽詰まった状況といい意味での緊張感が、
人を育ててくれるのかもしれませんし、
そこに少し不足があるのが、公的な機関なのかもしれません。


公的機関と言っても様々で、人命救助などは、
誰もNOと言えない明確な目標でわかりやすいですが、
そうでない場合は、やっぱり色々な面で、
体制にも人の育成にも差が付いてしまうんじゃないかなぁ。。。


ですが、この度の震災のように多くの人命が奪われる場では、
そんなことも言ってられません。
今こう言った記事を書くと、
どうしてもそれに触れないわけにはいかないのですが、
お役所の皆さんも、それに準じる立場の皆さんも、
そこに住む人にとって何が大事かを明確に打ち出して、
わかりやすく統一的なスローガンで組織に浸透させてほしいですね。


大切なのはメンバーの総意ではなく、個人の意識なのかもしれません。
そこに所属する皆さんが、同じ意識で物事に当たれるようになれば、
(というか、そのような風土を地道に作っていけば)
少しずつでも変わっていくのかもしれませんね。

津波ってこういうことだったんだ










昨日で東日本大震災から9か月経ちました。


幸い私の家は地震でも家屋自体に大きな被害がなく、
津波の影響もありませんでした。
また沿岸部にはあまりご縁がないため、
親戚や親しい友人で亡くなった方もおらず、
宮城県に住んでいても直接の被害はなかったほうだと思います。


ですがこの時期、喪中のハガキが多く心が痛みます。
直接ではなくても、
所属している団体の会長さんが津波で亡くなったり、
友人のご両親が今も見つからないなど、
とても「被害が少なくてよかった」などとは言えない状況なのですが、
それでもあれから9か月経ち、
様々な生々しさが一段落して思うことは、
今回の震災で、「津波ってこういうことだったんだ」と、
初めてわかったことです。


お恥ずかしい話ですが、
海沿いに住んだことがなく見聞の乏しい私は、
今までなんとなく津波というのは大きな波だと思っていました。
そう、例えて言えば、ビッグウェンズデーみたいな。
または葛飾北斎の富嶽三十六景(神奈川沖浪裏)みたいな?
海沿いの家々が壊れるのは、大波の破壊力だと思っていました。


でも今回、決してそうではないことが非常によくわかりました。


確かに津波は「波」なのでしょうが、
イメージ的にはそうではなく、
海面が10メートルも20メートルも、
大きく上昇するということなんですね。。。
防災として町の被害をリアルに思い描くためには、
自分はそう考えたほうが捉えやすいです。


それによって浴槽から勢いよくあふれる風呂水のように、
車を浮かし、建物をすべらせ、
重量があるはずの家々や倉庫や小さなビルが、
まるで洗い場の桶や石鹸入れのように、
こんなにもあっさりと流されていくなんて。。。


やがてそれらが瓦礫の塊になって、
今度は先々のものを黒い水流と共に、
バキバキと破壊していく…それが津波なんだな。


私達は普段、自分の住む町が1メートル以上浸水するなんて、
あまり考えたこともなく暮らしています。
もしそれを考えてみたとしても、脳裏に浮かぶのは、
浸水が一段落した後の家の中や街中の風景であり、
水の動きやスピードまでは思い至りません。


ですが実際に想像したこともない大容量の水やってきて、、
勢いが早くエネルギーが非常に強ければ、
建物が動いてしまうことはなんとなく理解できます。
当然車だって簡単に浮いて流されてしまうでしょう。


また、人が歩ける水の深さは、
緩やかな流れでも成人男性で70㎝、
女性なら50㎝ぐらいが限度だそうですが、
流れがとても早ければたとえ30㎝の深さでも、
とても立っていられないと思います。
一瞬で足元をすくわれて流されてしまうかもしれません。
これもそう言われれば想像がつきます。


ですが、よく考えればわかりそうなこれらの事柄を、
現実の災害とリンクさせた事はほとんどなく、
それが身近に起こるとも思っていませんでした。
なぜなら、私が今まで具体的に知っている「津波」というのは、
漁港などを撮ったニュース映像で、
「潮位の上昇を観測しました」と報道される程度のものだったからです。


もちろん、過去の津波被害を知らないわけではありませんでした。
報道番組で「以前ここまで水が来た」という映像や取材も見ました。
でもね、やっぱりここまでの想像はつきませんでした。


スマトラ島沖地震の津波の映像もそのときは見ていました。
けれど遠い南の島の出来事で他人事のような感覚でした。
リゾート地で建物や街並みの様子も日本とは違うので、
同じ感覚で見ていなかったというのが正解かもしれません。


なので今回初めて身近な現実の事として、
ネット上で様々な動画を目にするたびに、
「津波とは要するにこういうことなんだ」と、
今更のように痛感する連続でした。


多くの動画が最初は、
幾分イベント見物的な感覚でのどかな雰囲気さえあるのに、
その数分後には「まさか」と目を疑う空気に変わっていて、
非常にリアルだな、と思います。


来るはずのないところまで水がやってきて、
あり得ない光景が目の前で起こるなんて、
たいていの撮影者の方は想像もしなかったのではないでしょうか。


ですが、それが自然災害なのだと思いました。
「あり得ない」は、ないんですね。
それがこの震災で一番感じたことです。


幸い(と言っていいのかどうか)、
今回はたくさんの方が津波の様子を動画に撮って、
ネット上に公開してくださっています。
それらを見て初めて、私のように、
津波が本当はどういうものなのか知った方も多いと思います。


多くの方がおっしゃっていますが、
私達はこの記憶を風化させることなく、
確かなイメージとリアリティを持って、
次の世代に津波の恐ろしさを伝えていくのが、
亡くなった方に今約束できる、
自分たちの義務かな、と思っています。




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Author:笹ちゃん
人材育成コンサルタント、プロコーチ、研修・講演講師 笹崎久美子の外部ブログ。
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