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記憶は絶対生きている

仙台市民カード



昨日は探し物に半日を費やしてしまいました。


印鑑証明を取ろうと思ったら、
所定の場所に仙台市民カードがなく、
そういえば以前、
ハンコと市民カードを一緒にしておくのは、
防犯上よろしくないと考え、
カードだけどこかに寄せたのですが、
その「どこか」が全く思い出せないんです。


でもお蔭様で見つかりました。


「この際、徹底的に家探しだ!」と腹を決めて、
前から気になっていた部屋のあちこちを、
本格的に片付け始めたところ、
しばらくして「あそこはどうかしら?」
と、まだ探していなかった場所がふと浮かび、
引出しをあけてみたら、
封筒類の下の下の一番底のほうにありました!
ネット銀行のワンタイムパスワード端末などと共に、
ファスナーの付いた
『大事なもの収容袋』に入っていました。


この、「ふと浮かぶ」ってすごく大事ですよね。


「あ!」と明確に思い出せればいいのですが、
どう考えても思い出せない時は、
そのときに自分が取った行動をもう一度再現してやってみたり、
(頭の中でたどるのではなく、実際にその通りに動いてみる)
一端あきらめて、気になるところを片付けたり掃除したり。


とにかく「探し物」から一度心を離して、
実際に体や手足を動かして何かをやっていると、
「あ・・・そういえば・・・」とか、
「あそこはまだ探していなかったなぁ」など、
パっと突然、思い付きが浮かんで、
まさか、と思いながらそこを探してみると、
そこにあったりするわけです。


    *    *    *    *    *    *


最近個人的に確信するのは、
どんな記憶でも絶対に残っている!ということです。


無意識に行っている行動でも、癖や反射運動などではない、
何かを開けたり置いたりつかんだり、という
わずかでも意思や目的を伴う行動の履歴は、
100%どこかに必ず記録されていると思うんです。


でもそれは物事を覚えたり意識したりするのとは違うことなので、
そのため頭で考えてもアクセスできないと思うんですよね。


例えば家の中で携帯で友人と話しているときに、
宅配便が来て、携帯を持ったまま玄関に出て、
何の気なしに切った携帯を棚の花瓶の脇に置きました。
ところがそのあと立て続けに別な用事が発生して、
バタバタと対応したあとで気が付いてみたら、
「はっ!携帯がない!どこ?」
(私はこんなことがよくありますw)


そんなときでも「携帯を花瓶の脇に置いた」という行動は、
必ず脳のどこかに絶対に記憶されていると思うわけ。


その領域に近づいてその記憶を再生させるためには、
論理的に思考するのではなく、逆に頭を空にして、
実際にそのときと同じような行動をすることで、
しまわれていた記憶もそれに伴って再生される・・・
最近は探し物をするときにはそう意識し始めました。


全く同じじゃなくてもいいです。
体の動きで脳が思い出すためには、
類似行動でもいいと思います。


「そういえば・・・」


こんな思い付きやアイデアがふと浮かんでくるのは、
そんな時なんじゃないかなぁ。


    *    *    *    *    *    *


慌て者でそそっかしいので、
「あれがない」「これがない」と、
家の中を探し回る事がたまにある私ですが、
最近は、焦ったり急いだりしません。


心では忘れていても、脳は必ず覚えている!


固くそう信じて平常心を保ち、
(最悪見つからなくてもいいと開き直り頭のメモリを空ける)、
「探す」のではなく、
体や手足を動かしてなるべく紛失時と近い行動することで、
その記憶が持っているイメージに近づきそれが呼び出されて、
ピンポイントではなくても、あら不思議、
やがて必ずそれらしきヒントがふわっと浮かぶのよね。


今回はイメージとして封筒類が脳裏に浮かんだので、
しまうのならやっぱり引出しの中だよねぇ・・・と思い、
普段、大事なものを入れている段とは違う、
ガラクタモードの段のほうの中身を、
さほど期待もせずに念のため全部取り出してみたら、
あーーーーーーーーーーーーーーー!ありました!


そうそう、思い出しました。
パッと見ても大事なものが入っている事がわからないように、
わざとガラクタの一番下に隠したのでした^^
やっぱり「頭」より「感覚」ですよね。
ここまで見つからない時は、
論理的思考はあまり役に立たないかも。


家族に「見つかったよー。私って探し物の達人!」
と誇らしげに自慢したら、
「そもそもなくすな」と逆に怒られました。


はい。確かに・・・


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「それだけやる」のが目標

j0438933.jpg



様々な本を読んだり我流の私見を加えたりして色々考えてみると、
自分の特長というのがとてもクッキリと明確に見えてきますが、
根本的な私の特長というのは、「思考がそこにとどまっていない」
ということなのだと思います。


何かを見聞きすると関連して瞬間的に次の何かが浮かび、
それについて考えているとまた次の何かが浮かび…という風に、
物思いが連想ゲームのように素早く無意識に遷移していくのですが、
一見長所のように見えるこの傾向も、場面が変われば大きな短所です。
色んな思惑のイメージが一気に立ち上がって、
何も考えずにシンプルな作業に徹するすることができないのです。


例えば散らかりきった机の上の片付け。
茶の間からガチャガチャと台所に下げてきた、
ダイニングテーブルの上の汚れた食器群。
取組んでいる作業の最中に次々と割り込んで入る電話やメールと、
それに付随する急ぎの対応や急ぎの複数の処理、
そしてそのために必要になった別作業、
…と再び取り組んでいた元の作業。。。


優先順位も効率も時間も期限も熟考するのは後回しでいいから、
まずは目についたもの、手に触れたものから、
淡々と終わらせていけばひとつでも物事が進んでいくのに、
なんとなーくこんがらがってきて不安に気持ちになり、
気を落ち着かせるために本来自分が好きな事
~文章を書いたりYoutubeでダンサブルな動画を見たり~ をします。
が、気分転換のつもりがそれにすっかり没頭して時間が過ぎてしまい、
やるべきことがその日のうちに終わりません。


思えば以前、
3年間精密部品工場で手組みのライン作業をしていたときは、
私、当初は人よりも作業が遅かったなぁ。。。
それから落下や破損などのミス(不良)も最初は結構多かった^^
それは落ち着きがないというよりは、
単純作業に無心で徹することができないからなの。
気が付くと色んなことを自然に考えていて、
そっちに夢中になっているんですよね。


それは言い換えれば集中力がないということなると思うのですが、
物事をあれこれと考えて、何かに気づいたりわかったりする刺激が、
自分には一番快適なのかもしれません。


ですが最近"気づいた"のは、それがやはり自分の作業効率を、
著しく落としているんだな~ということ。
好奇心や対象物への知的な興味・関心が強いのは、
いい事かもしれませんが、
それがときに、仕事の邪魔になるんですよね。


他の人もみんなそうかと思っていたら、それがそうでもないようで、
うちの人を見ていると、雑念なく物事に取り組むので、
何をやっても早いし(ただし雑(笑))手際良いし、
茶碗を洗うのも、洗濯も、それを干すのもあっという間です。
(ただし靴下を左右合わせて干すのだけは
非常に苦手で嫌いとのこと^^)


そうか。
と、思いました。


色々な事を考えたり、知的な刺激を暗に求めてしまうから、
作業が遅いし、寄り道が多いのだな、私。
あるいは、今目の前にあるものとは違う事を考えてしまっているから、
眼鏡をどこかに置き忘れたり、財布を探して右往左往するんですね。
すでに心の中が次にやりたい事でパタパタしているので、
使ったものを定位置まで持っていくのももどかしく、
ついその辺に置いてしまいますが、
別な事を考えながらそこに置くので確たる意識がなく、
それが必要になった時に、あれがない、これがない、覚えていない、
になるんだなぁ。。。



または、仕事を終えて帰宅した時に、
もう次の事を考えてすぐにでも急ぎの事案に着手したくなり、
そのまま何にも先んじてつい真っ先に手を付けてしまうので、
その日の完了作業や後片付けが後回しになって、
大事な書類が紙の山に埋もれてしまったり、
予定表に投入すべき約束が漏れてしまったり、
重要な郵便物がいつまでも開封されずに、
どこかに紛れてそのまま忘れ去られ、
放置されてしまったりするんですね。


そこでこの状況を改善するために、
私は常に念頭に置く自分ためのキャッチフレーズ(行動目標)を、
考えました。


それは、


①備える、手放す、それだけやる。
②しまう、戻す、見届ける。



です。
我を忘れて意識がふわ~っと今やっていることと、
(またはやるべきことと)違う方向に行きそうなときは、
①②を行動の指針として、いかんいかんと自分に対して、
ストップをかけることにしました。


これは、いっときそこにとどまって碇をおろし、
自分の意識と行動をこの場所この時間この作業に、
ピンで留めるように固定していくためのおまじないの言葉です。


で、先月からこれをやり始めた結果、
やはり少しずつよくなってきたかな。


副産物として大きく変わったのが、
外出したときの帰宅時間です。
今までは仕事で街場に出ると、
「せっかくここまで来たのだから」と思い、
帰りに街中でないと買えない買い物をしたり、
美味しいコーヒーでちょっとだけ自分の読書タイムを持ったり、
昼時なら普段はなかなか来れないお店で一人でランチしたり…と、
街中に来たら、街中に来ないとできない事をしてから帰りたい、
と思っていたのですが、今は「それだけやる」のが目標ですから、
とっとと帰ります(笑) 寄り道しません。


面白そうなイベントやお得なバーゲンセールがあっても、
「それだけやる」のが目標ですから、
用事が済んだらわき目もふらずにさっさと帰ります。
おなかがすいても少しのどを潤したくなっても、
家に変えれば何かあるだろうと思って、一目散に帰宅します。
これは私にとっては大きな変化だね(笑)


    *    *    *    *    *    *


私は倫理法人会の会員なのですが、
これは創始者の丸山敏先生について書かれた
幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝
も大きなヒントになっていて、
「出足を早く、引き足を早く」という項目で、
以下のように書かれてあります。


出かけたときは、目的地にまっすぐに出向き、
目的地の用件が済めば、
道草をしたり、あちこちへ寄ったりせずに、
まっすぐに帰るのが望ましい。
大切な場面ほど、まっすぐに「直行」し、
まっすぐに「直帰」することを心がけたい。




この一文がすごく新鮮で自分の心にヒットしたんですよね。
自分はそれまで、各地に仕事で出張しても、
普段は来れないこの地にせっかく来たんだから…と、
食べ物でも観光でも施設等の見学でも、
ここに来なければできない何かをして帰らないと、
「損」という感覚が少しありましたが、
今はそう思わなくなりました。
仕事で来たのなら、仕事してそれだけで帰ればいい、
と思うようになりました。


だから東京に行ってもスカイツリーは見ないし、
時間を工面して東京在住の妹や義弟に会うこともしないし、
ホテルと仕事場の往復だけで用が済んだら早々に帰仙します。
で、これが案外シンプルで楽でスッキリしているんだわね。


そういう経緯もあって、今も引き続き、
「それだけやる」のが目標です。


①備える、手放す、それだけやる
②しまう、戻す、見届ける

の他のところの私的な解説は、
また別な機会にでも書こうかと思います。


だって、「それだけやる」のが目標ですからね(^_-)-☆
なので「それだけやる」について「それだけ書く」ことで、
今日は終わります(笑)










おしゃれもやる気の問題

MC900335280.jpg



縮毛です。。。


写真の髪は全然パーマとかかけていません。
そう言うと、結構びっくりされます^^


私みたいな髪質は、ボサボサとまとまりが悪く、
伸ばしたままだと思い切り不恰好に広がるので、
短くするか伸ばして束ねるかの、
どっちかだろうな、とずっと思ってました。


え?ストレートパーマ?
以前は憧れてましたが、
今は開き直ってそれほどでもないので、
あまり関心はありません。


そう、「関心がない」そこなんです。
今日はまさにその話なのですが、
私は小さい頃から、ほんっっっとうに、
おしゃれに興味がないんです。


これは、今となっては、
そういう体質だと言うしかないです。
今はそれでいいと思っています。
人の興味関心と言うのは、
もちろん生まれた後の社会経験にも左右されますけど、
それだけじゃ語り切れない部分も、
絶対あると思っているんですよね。


で、その話はまた後日に譲るといたしまして、
要は、自然で素のままの自分のその状態だと、
不利益が出てしまう場合です(笑)


私は仕事柄人前に立つことが多いので、
身なりや服装やメークや髪型には気を遣った方がいいわけですが、
これがまぁ、本当に後ろ向きと言いますか、
億劫で面倒でしょうがないです。


独立する時に一番気がかりで嫌だなと思ったのは、
将来の見通しやお金の心配などではなく、
(もちろんそれもありましたが、はるかそれ以上に)
身なりをちゃんとしなくてはならない事だったです。
だってちゃんとした服装だと肩が凝る感じがして、
洋服に対して緊張するんだもん。。。


どちらにしても、
物事への関心は人それぞれのはずなのですが、
それが世間の感覚と異なるゆえに、
社会的には「それじゃダメ」になっちゃうと、
自分への「ねばならぬ」が苦痛になってきて、
段々それが嫌いになったりするんですよねぇ。。。



    *    *    *    *    *    *


さて今、目下の課題は伸びた髪をどうまとめるか?なのですが、
写真のように一つに束ねるだけではやっぱりバサバサするので、
研修のときなどは、お団子にするなどしてまとめたいんですよね。


ですが実際にどうしたらよいのか見当もつかないし、
思いは少々あっても手間がかかりそうなので、
モチベーションはかなり低く、やってみようとさえ思いませんでした。


いや、違いますね。


一度試しに自己流でやってみたのですが、
うまく行かなかったし、
やったことがないので手は疲れるし、
「あぁ、やっぱり、私には無理」と、
すぐにあきらめっちゃったんですよ。


ところがある日、ふと思ったんですよね。
「私、なんですぐにあきらめるの?」って。


というのは、もしある会社さんが社員教育の講師を探していて、
その条件が「講師の髪型はお団子に限る」というものだったら、
私、速攻やると思ったんです。


しかも絶対そのために、本や雑誌の2~3冊は即買っていると思うし、
最初は下手でも、手が疲れても、
本気で真剣にちゃんとできるようになるまで、
きっと何度も何度もトライしていると思うんです。


ということは、やりたくないわけじゃないんですよね。


私は自分の身なりにはあまり関心がないけど、
仕事にはすごく関心があるので、
行動の結果で得られる報酬が具体的で明確なら、
(そしてそれが自分の心から望んでいるものなら)
嫌いだとか、興味がないなんて一切言わずに、
「おー」と喜んでやっちゃうわけです(笑)


そう、そうなのよ。


例えばインターネット。
動画をYoutubeにアップしたい。
そのために前と後ろをトリミングしたい。
さらにところどころ不要な部分はカットして、
つなぎ直したものを他人様に見せたい。


もしそんな風に思ったらそりゃすぐやりますよ。
いいフリーウェアがないかキーワードを変えて何度も検索して、
決め手に欠けるようであれば、
いくつかダウンロードして実際に試し見て、
それでうまくいかなかれば悔しいから、
「どこがまずいんだろう?」と必死に調べて考えて、
設定を見て、怪しいところは変えてみて、
それでもだめならまた検索して調べて、
人に聞いて、本を立ち読みして、とにかく情報を探します。
そこまでは、誰に言われなくても普通にします。


それはやっぱり、ちゃんとしたものを出したいし、
自分が納得していないものは公開したくないし、
何よりもダラダラ長いばかり長くて無駄の多い動画は、
誰も最後まで見てくれないと思うので、
最後まで見てもらって「へぇ~」と思ってもらうための、
モチベーションだと思うの。そういうところは結構明確。


なのでインターネットに関する作業なら、
無知でも不慣れでもコンチクショウと立ち向かっていくのに、
ヘアスタイルに関しては、やる前からあきらめているというのは、
完全に「やる気」の問題だな~とすごく思うわけです。


だとすると、あの気持ち。
ネットでやりたいことがうまくできないときに、
「くそーっ」と思うあの気持ち(笑)
「悔しい~っ」と感じるあの気持ち(笑)
「もう絶対やってやるもんね~」とムキになるあの気持ち。
闘争心。


その闘争心の対象を、自分の髪型に向ければいい話なのだ。
ただそれだけなのだ。


    *    *    *    *    *    *


一度そう思ったら、気持ちをチェンジするのは、
そんなに難しくないです。


だいたい、こんなに世の中には情報が溢れているのに、
なんで動画とかでやり方を調べようとしないのよ、私?


ヘア用品も今なら色々な便利グッズがあるっていうのに、
なんでそういうコーナーに行って実際に見てみないわけ?


いいなと思うヘアスタイルをしている人に、
今まで一度でも「それどうするの?」って聞いた?
聞いてないよね?


好きでやっている事とそうでない事を比較してみると、
「できない」と思う前に、普通ならやっているはずの事を、
全然何もやってない事に気が付きますし、
そこに手を付けようとさえ思っていなかった自分がいます。


な・る・ほ・ど・ね~
と思いますよ^^


であれば、好きだろうが嫌いだろうが、
今まで自分がやって来た、
「できない」を「できる」にしていく過程をよく思い出して、
淡々とそれに対応させていけばいいんですよね。


好きな事は放っておいても前向きに取り組みますが、
そうでないことは、必要な事にさえ手を付けていません。
それでは好きになれるはずもない、という感じだね。


物事にはその人なりに好き嫌いがあると思いますが、
嫌いな事って、
最初からあきらめちゃっている事なんだと思います。


そうそう、先日ドラッグストアで、
すっごく便利なヘアアレンジのコームとピンのセットを、
見つけちゃった~♪♪
探せばあるんですよね~(笑)


残念ながらやってみたけどうまく行きませんが、
「せっかく買ったのに悔しいな~!」とちゃんと?思ったので、
もう大丈夫(笑)。


「嫌い」が「嫌い」じゃなくなる過程、
「苦手」が「苦手」じゃなくなる過程、
これからはそれを楽しんで前進していきたいと思います(^o^)/





いつも「思い」が先

インターネット



いくつかのメーリングリストに入っていますが、
メーリングリストでメンバー向けに何かの情報を書いて、
それについて文末で、Facebookページはこちらです、と、
リンクを記載すると、必ずと言っていいほど、
電話をかけてくる先輩(少々ご年配)がいます。


「あのさ、メール見たけど、俺さ、Facebookはやらないから。」


全体に向けてのメールなので、
わざわざお電話いただくことではないように思いますが、
実は以前、Facebookで名前を見かけて、
友達リクエストをお送りしたところ、
他にも申請がたくさん来ているようで、
そのときも間をおかずに電話があって、


「色んな人からアクセスがあってとても対応しきれない。
笹崎さんからもなんかいただいたようだけれども、
Facebookは登録はしてみたものの、
今後使う気はないので、要するにそういうことだから。」


と、ピシャリ。


いいんです(笑)、
気のいい天然の頑固おじーちゃんだし、
ITはそんなにお詳しくないし、
そもそもネットとの関わり方は人それぞれでいいわけだし。
そして同じようなおじーちゃんがたくさんいるのも、
よーくわかっているし(笑)


でもね、この知人のおじーちゃんに限らず、
色々な方に色々なお話を伺うと、
ふと思うときがあるんですよ。


こういう仕組みがあるのなら、
これを使ってこんな事ができたらいいな♪って、
あんまり思ったりしないのかな?って。


もちろん人の考え方も様々でよいのですが、
よく考えてみれば、私はいつも「思い」が先立つ方なので、
インターネットで新しいサービスが出現するたびに、
「ほう…であれば、こんな風に使うとこういう結果になるかな?」
と仮説を立てて実行していくのが楽しいし、
「こんなことをやってみたらどうだろうか?」と、
浮かんだアイデアを実験してみるのも面白いし、
「そのためにはいったいどうすればいいの?」と、
必死にネットを検索してやり方を調べちゃったりします。


それはきっと、ある程度慣れていることもあって、
自分なりのゴールや方向性を、
無意識につかんでいるからなんでしょうね。


うんそうですね、インターネットを通じての発信は、
自分の中には常に漠然とした理想像があるかも。
なにかをやるときには、
「こんな風になればいい」と必ずどこかで思っていて、
そのイメージはいつも頭の中にあります。


何かをブログで書けば、こんな人たちが見に来るんじゃないか?とか、
何かをSNSでつぶやけば、こんな反応があるんじゃないか?とか、
いつも結果を推察しながらやっているような気がします。
これは共感者がいるだろうとか、これは反発くらうかな?とか、
そんな感じ。


    *    *    *    *    *    *


思えば、ホームページもブログもMIXIも、
TwitterもFacebookも、
自分からやりたくてやったものはひとつもないんです。


ホームページは多少知識がないと困る仕事だったので、
本当に右も左もわからなかったけれど、
崖っぷちのような焦りがあって、
自分の勉強のために作ってみました。
ブログも似たようなものです。


MIXIは友人に「見てほしいコミュニティがある」と勧められて、
その友人の紹介で入りました。(まだ紹介制だった頃)


TwitterやFacebookは、これもそれぞれ別々の友人に、
「教えてほしい」と依頼されたので、
「だったら自分がやって使いこなせないと説明もできない」と思い、
それをきっかけに始めました。


だからぜーんぶ、きっかけは後ろ向き(笑)
好きで始めたことは何一つないんです。


なのに今もこうやって続けているのは、
やっぱり面白いからです。
人と交流したり反応をいただくことが好きなので、
知らない人とやりとりできるTwitterも楽しいし、
知っている人とやりとりできるFacebookも楽しいです。


そんな自分の事を考えると、
流行っているからとか、話題だからとか、
PRや売り上げのためだけに、「ねばならぬ」で関わると、
長続きしない気がするんです。


ほら、気乗りしないことを義務で行うことほど、
面倒で億劫で嫌なことはないですものね。


    *    *    *    *    *    *


それと皆さんのお話を伺っていると、
不安が大きいということもわかります。
冒頭のおじーちゃんは、
「こんなにたくさんの人からアクセス(?)があっても、
自分はすぐに返信ができないし自分には無理である」
とおっしゃっていました。対応に不安をお持ちなんですよね。


ほかにも個人情報が心配だったり、
詐欺やストーカーが心配だったり、
他人から見られていることが心配だったり、
間違った使い方をして失敗するのが心配だったり。
きっとそう思うに至ったご経験が、
過去にあったのかもしれませんが、
そんな場合は、自分は自分と潔く割り切って、
中途半端に関わらないほうがいい気がします。


なぜなら不安を覚えながらビクビクして使うのは、
精神的な負担が大きく逆にストレスになると思うから。
特にSNSは「人と人の関わり」を軸にしているので、
ある程度のおおらかさと開き直りがないと、
逆にその良さも享受できないかもしれません。


私の本業はプロコーチで社員教育等の講師ですが、
前職がプロバイダーのユーザーサポートだったこともあり、
友人知人からは本当によく相談を受けます。
ご依頼をいただき、Twitter講座やFacebook講座をすることもあります。


そこでいつもお話していることは、
インターネットだからと言って特別なことはなく、
現実社会と同様に、その人それぞれでいいんですよ、ということ。


現実の社会でも、マメな人がいればそうでない人もいます。
何でもソツなくこなせる人もいれば、
そそかっしくてミスが多い人もいます。
そういった事をなんとなくお互いに分かり合っていて、
個人差を概ね許容しながら暮らしているのは、
インターネットでも同じだと思うんですよね。


そのぐらいの気楽な気持ちで関わってみれば、
自分なりの活用法を思いついたり、
いいアイデアが浮かんで、段々楽しくなるかもしれません。



どんなことでも、どうせやるなら、
目的と目標と夢と希望と持って、
楽しく愉快に取り組めたらいいなと、思っています。




行動に閉じカッコをつけるのが目標

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あまり表に出していませんが私の仕事の品目で、
ある機器装置の使い方をメーンとする研修があります。

 

それをやるときには自宅から現物を色々持ち込んで、
依頼先の研修室の机などに並べて、
実際にやってみながら解説をしていくのですが、
これが毎回とっ散らかるんだわ^^

 

解説部分は慣れているところなので問題ないとして、
手元とか手際のところですね。

 

電源をつなごうと思うと、あれ?ACアダプターがない!
実演がなぜかうまく行かないのでよく見てみると、
その前の単元でやった設定を戻してない!
プロジェクターを見てもらおうと思うとポインターがなくて、
さっきまで何本もあったホワイトボードのマーカーがひとつもない!

 

机の上は何となくごちゃごちゃしてくるし、
機器類の組み合わせを変えようと思っても、
線が絡んですごく時間がかかるし、
しまいには足元の配線に引っかかって転んだり物を倒してしまったり^^

 

それで前回すごく思ったんですけど、
アタシってなんでこうなんだろ?って。

 

今まではそこそこ感じていながら特に大きな疑問はなかったんですが、
前回の研修のときに突然、
これって他の人がやったらどうなんだろう?って思ったんですよね。
そして突然、きっとこうはならないわ!って確信したんです^^

 

    *    *    *    *    *    *

 

この頃痛感する私の大きな欠点は、
ひとつの物事をきちんと完了せずに次に行くという事なんですよね。

 

もちろん仕事ですから、
約束は守るし出すものはちゃんと期日まで出しますが、
そういうタスク上の話ではなくて、
無意識にやっている行動の癖なんです。

 

先日の「相性の悪いコミュニケーション」の中で書いた、
動的思考の話ともリンクするんですが、
「思考がそこにとどまらない」のは些細な行動にも表れていて、
それが自分の長所を支えている最大の要因でもあり、
よくないところの原因になっている最大の欠点でもあるんですよね。

 

この前特徴的だなと思ったのが、
研修中にホワイトボードで何かを書くとき。

 

マーカーをきちんとその場に置けばいいのに、
書き終えた瞬間には次の事が浮かんでいて、
無意識にマーカーを持ったまま机に戻り、
PCの脇に置いて画面に向かってしまうんですが、
マーカーが定位置になくなるまでそれを繰り返すので(笑)、
あれ?と思った時には自分のPC周りにマーカーが一杯!!

 

あまりにも毎回必ずそれをやっているので、
最近は逆に探すこともなくなりましたけどね。
ないと思ったら机に戻ればいいんです(笑)
すごく確実!打率100パーセント!(笑)
でもその時は全く覚えてない。

 

そしてこれはすべての行動に当てはまるので、
素の状態で普通に暮らしていると、
自分の周囲がものすごく汚くなってきます。
とても小さなことでもその傾向で行動するんだから、
どうしてもそうなるよね?

 

たぶんきっと傾向としては、
ADHDっぽいところが自分にあるんだと思います。

 

    *    *    *    *    *    *

 

だから1年も1/4を過ぎて次の目標を、
「行動に閉じカッコをつけること!」としました。

 

イメージとしては、
複雑な組み合わせの作業や何かを同時進行しなくてはいけないときでも、
[1+{2×(4+5 )×(6+7)}ー8]÷5 のように、
きちんと括弧閉じのある入れ子構造の数式のように、
ひとつの行動をすごく小さな単位できちんと完了させること。

 

「ホワイトボードで解説してPCに戻り、
プロジェクターで実際に設定手順を見せる」
というだけの行動ひとつ例にとっても、
ひとつひとつの動作を完璧に完了させて次に移る、
そう意識する。そういうことかな。

 

普通の人が誰でも無意識にできていることでも、
自分には強く意識しないとできないという事があります。
そんなとき私は、なぜだろう?と考えて、
ものすごくものすごく自分の行動と思考を精査してみて、
「あ、自分にはこういう癖があるんだ」と発見するのが、
私は大好きなんですよね。

 

原因がつかめれば意識するようになるので、
少しでも改善はされていくし、
そこで得たものが今度は自分のコーチングに、
とても役に立ってくるんですよね!

再現できるように聴く

MC900432665.PNG

昨年、会員広報誌用にある勉強会の簡単な報告記事を頼まれ、
手元のノートを見ながら文章に起こそうとして愕然としました。
きちんとメモを取ったはずなのに、全然書けないんです。

 

もちろんメモは詳細に書いてあります。

 

例えば「○○のときは××が可」「△なら□をすべき」

 

ところが、これは講師が実際にそう言ったのか、
講師の言葉を聞いて自分がそうまとめたのか、
または自分自身が気づいたメモなのか、
それが曖昧でよくわからないんです。

 

また、「○○のときは××が可」と書いていますが、
では講師はそれをどういった言い方で表現したのか?
それによって講師の生の言葉としてのリアリティが変わりますし、
ニュアンスも大きく異なって来ます。

 

結論や要点だけを書いたってダメなんだな。。。

 

そう気が付いた私は、
以後、メモの取り方を変えました。
講師が言った通りのそのままの言葉で記録し、
講師が引き合いに出した体験談は、
あとから一目でそうだとわかるようにくくり、
講師が参加者に資料を見るように指示したら、
そのタイミングと参照資料も書きこむようになりました。

 

でも、それでもまだ足りませんでした。

 

別な勉強会のときに気が付いたのですが、
内容をきちんと人に伝えるためには、
講演の部分だけではなく、
2時間なら2時間、その時間の一部始終を書いたほうがさらによく、
最近の私は、開始の挨拶から講師紹介や締めくくりに至るまで、
また、司会の方の名前や挙がった質問やその回答、
合間に講師の方が近くの人に話しかけたジョークまで、
全部メモする事にしています。

 

これにはヒントになった経験があるんです。

 

昨年私はあるセミナーのお手伝いでコーディネーターをしたのですが、
3回連続のセミナーのうち、自分が関われるのは第一回のみ。
残りの2回は友人に引き継ぐことになったのですが、
その友人に第一回目の内容をすべて正確に伝えて引き継ぐためには、
自分が講師になって同じ内容を再現できるような聴き方と記録が、
一番いいと思ったんです。

 

で、思わず「これだ~!」と思いました。

 

すべてを再現できるように聴く。

 

それからはさらにメモの取り方を変えて、
今はどんな勉強会でも必ずそういった聴き方をしています。
書くボリュームが増えるのでとても忙しいのですが、
同じ時間を用意してくれたら、
今度は自分が相手の方にそれを再現できるように、
いつも意識して聴き、意識してメモしています。
もちろん、どんな内容の勉強会でも、です。

 

そうすると、本当に内容が頭に「入る」し忘れないし、
教えてと言われたら、すぐに教えてあげることができるんですよ。

 

これはいいぞ?と思った私は、それを発展させて、
自分の研修のワークにも取り入れちゃいました。

 

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今から話す内容を聞いて、
「皆さんから他の人にレクチャーする」というワークをしますので、
そのつもりでよく耳を傾けてきちんとメモしてください。
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こんな風に説明すると、皆さん、必死に真剣になって、
ものすごい集中力で私の言葉を聴いてくれます。
取り組みの姿勢が根本から変わるんですよね。

 

すべてを再現できるように聴く。

 

これ、とてもいいので、皆さんもぜひ試してみてください。

 

 

間違いを指摘されても(転職編)

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先の記事を書いていて思い出したのですが、
先日、ある方達とお話をしていて、
雇用と年齢の話題になり、
「実務経験が豊富でも年齢の高い人は不利だよね」
というテーマが出ました。

 

ひとことで言えば「育てにくい」という結論であり、
間違いを指摘しても、
「言い訳から入ってすぐ謝らないよね。」というお話でした。
私もそれには共感するところがありました。

 

    *    *    *    *    *    *

 

それについてはいつも思う事があります。

 

職場は新しく入ったその方のキャリア云々よりも、
「その業務、その手段、その価値観」に慣れて、
他の方と同じレベルの戦力になって欲しいと思っているので、
そのための働き掛けをストレートに受け入れてもらえないと、
先輩指導者はやりにくさを感じてしまうんです。

 

また、相手の言い分に素直にうなずく行為は、
お互いの良好なコミュニケーションのためにも大切なことなので、
そこに適度なYESが返ってこないと関係もギスギスしてきます。

 

キャリアのある方が間違いを指摘されたときに
「それは知っている」「今回は△△だから間違えた」
「以前□□だったのでそうした」と真っ先に言ってしまうのは、
実は何よりも自分の事情を優先してしまっているんですよね。

 

コーチングでは相手の存在を認め尊重することを「承認」と呼び、
お互いの良好な人間関係に不可欠なものとして捉えていますが、
これが相互に行われていないと関係が悪くなるわけです。

 

自分の都合、自分の事情、
自分の立場を守ってしまう気持ちは当然誰にでもありますが、
それの度合いが強くなると、
相手は受け入れてもらっている気がしません。

 

また、早く仕事を覚えたい意欲が伝わってこないので、
過去に実績があっても、
人としての評価は低くなりがちです。

 

だから、少し怖くて少し不安で少しストレスがあっても、
間違いを指摘されたときに言い訳をせず、
シンプルなYESで対応することは、
相手の人物を承認してあげる行為であり、
実は「人とうまくやる」知恵だったりします。

 

そしてそれが業務、職場、ひいては会社への承認となり、
皆が初めてあなたを仲間の一員として認めてくれる、
きっかけになると思うんです。

 

これはやみくもにイエスマンになれというのでなく、
若くない方が転職を成功させるための、
ノウハウだと思ったほうがいいかもしれません。

 

会社だって仲間だって指導役の先輩だって、
みんな「自分を、自分達を認めて欲しい」と思っているんですから。

 

ズルく言っちゃえば、それに先に気が付いて、
振る舞いを軌道修正したほうが「勝ち」ってことです。

 

今から転職や再就職をお考えの「決して若くはない」皆さん、
その一点で私達は、
圧倒的な年齢差が自然に真摯な態度を作り出している若者達に、
「負けている」ということを、よくわかっていてくださいね。

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